全編に時として「地域史」に見られるような愛情がこもっているのが感じらます。大日本帝国による領有以来今日に至るまで、国家間のパワーゲームの舞台である西台湾に対し、東台湾は有史以来の「別天地」であり続けたのです。
狩猟を事とする原住民にとって、花蓮港から南に延びる平野は人の住むべきところではなく、ここで農業開発を始めたのは日本人だったとのことです。「ボクの方がおにいちゃんなんだぞ」というのにも関わらず併合されちまった儒教の国、朝鮮国とも、「開拓と言っても森を拓いて木の根を掘るわけではありません。満人が遅れたやり方で畑にしているところを接収し、日本式の優れた農業を広めるのです。」という満蒙開拓とも違う近代化の姿です。ちょっと北海道に似ているかも知れません。
植民地経営は住民の福祉の為に行われるのではなく、本国への富の移転を目的に行われるものですが、欧米諸国と違い、本国自体近代化に狂奔する日本によって「文明開化」と「神国日本」と「富国強兵」をごちゃ混ぜにしたモモタロウさんのノリで東台湾の開発も進められたのでしょう。山口さんのこの本にもそんな明るさが溢れています。
子供時代を過ごした「故郷」を美しく思い起こすところには、イギリス初代駐日公使オールコックが「大君の都」で述懐しているような、
驚く程質素で、それでありながらこの上なく幸せなこの人々を、近代化の荒波の中にほうり出すことがはたして良いことであろうか。
という「逝かんとする世の面影」に寄せる危惧はありません。子供時代の無知なるが故の美しい思い出に満ちているのかも知れません。「逝きし世の面影」に寄せる危惧は知識人、あるいは「国家」などを仕事の対象とする「心を労する」人たちのものであって、子供だけで無く「身体を労する」人々には無用のものなのでしょうか。
植民者たる日本人の子弟であった著者には「身体を労する」被植民者の鬱屈した思いは無縁のものでしたが、戦前の植民地台湾における台湾人の青春の暗い思い出を辿った好著に
「台湾人と日本人 基隆中学「Fマン」事件」田村志津枝/晶文社/1996
があります。旧制中学生のクラス内の「いじめ」に特高警察が介入して行く様は「国家」による「統治」が実はいじめそのものだ、という姿を浮き彫りにします。
その後の台湾も「国家」に振り回される苛酷な運命を辿りました。台湾人は「国民の生命財産を保護」するのが国家では無く、「無辜ヲ殺戮スルノガ国家」デアル、という姿を蒋介石総統による朝鮮戦争後38年に亘る戒厳令下で見せつけられました。戦後日本の高度経済成長が「護送船団方式」であったのと対照的に、90年代以降の台湾の経済成長は「国家など頼りにしていたら、命まで取られてしまう」というところから始まっているのかも知れません。
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