テレビでテレサテン物語なるものをやっていて、面白かった。鄧麗君はまあ、お人形さんみたいな衣装で演歌を歌う歌手なのだが、「何日君再来」を聞いてみようとCDを買いにいき、鄧麗君のベストアルバムにこれと「夜来香」が入っていたのを買ってみたのだ。2曲とも日中戦争の頃に作られ、爆発的なヒット曲となり、その為にあちこちの軍部から目の敵にされる、という運命を辿った曲だ。その後中園栄助によって「何日君再来物語」という好著が発表され、これも面白かった。巻頭からかすかに漂うサスペンスの正体が、最後の10ページ程のどんでん返しで明らかにされる。

テレビの方は「私の家は山の向こう」というサブタイトルが付けられている通り、1989年の香港民主化集会で鄧麗君が歌う場面がクライマックスのひとつとなっていて、この場面がかなり手をかけたセットで映し出されていた。18年前のヴィデオが再現されてテレビに映し出されるのはちょっと不思議な感じだ。

現在では有難いことにその時のヴィデオそのものをYouTubeで見ることが出来る。改めて見てみると、「紳士のオモチャ」であるお人形さんの格好をして、紅白歌合戦などで歌う姿よりも、はるかに自然体で歌声が響いている。しかし画面の彼女以外の観客などには何となく、「鄧麗君と民主化集会はミスマッチじゃないの。」という醒めた表情が混じっているのが印象的だった。

彼女が商品化された演歌の世界は、男に媚を売って生計を立てる、という売春婦と同じ女性像が前提とされる世界だ。そこで数々のヒット曲が生まれたのは、女には経済能力は無く、男にすがって生きるべきものだ、という理想に対する需要が、東アジアを広く覆ってることの証だ。演歌はダサイので、最近は「メイドファッション」と言わなければならない。

民主化集会での鄧麗君は胸に「軍管反対」のプラカードを下げ、頭に「民主万歳」と書かれた鉢巻きをしている。彼女にとっての「軍管反対」は、天安門広場を制圧する人民解放軍だけでなく、軍と党が全てのテレビ曲を経営する、という戒厳令下の台湾の芸能界に向けたものであろうし、「民主万歳」は「歌奴隷」あるいは「性奴隷」からの女の開放を意味していたのではないかと思われる。1989年前後の台湾は戒厳令廃止と民主化の最中であり、歌の世界でも長年押さえつけられた重しが取れて百花繚乱の時代であった。そのころブレークした「新寶島康楽隊」も最近記念アルバムを出してソロ活動に移っているようだが、これもバックに上海友好交響楽団のクレジットがあるのを見ると、メンバーの間で「軍管反対」「民主万歳」などの意味の違いがあるのかもしれない。

テレビタイトルになった「私の家は山の向こう」は、「開拓と言っても森を拓いて木の根を掘るわけではありません。満人が遅れたやり方で畑にしているところを接収し、日本式の優れた農業を広めるのです。」という満蒙開拓団を山の「向う」から歌った歌、というのも興味深かった。 時は流れ、そうした戒厳令下を生き延び、戒厳令に終止符を打った李登輝元総統は目下日本旅游中であり、テレビドラマもそうしたタイミングで放映されたのであろう。元総統の方は「弟として靖国に兄を訪ねたい。」と政治意欲丸出しなのだが、こちらには「千の風」でも贈りたい。