2008.4.18

舞阪町魚政商店に塩辛を買いに行ったら、「モチ鰹あります」と看板が出ていた。えらく早いな、と思ってみたら、2kg足らずの上り鰹ではなく、3kg余の立派なヤツだ。なるほど「モチ鰹」とあって、「初鰹」でないところに看板の苦心がある。遠州灘沖冷水塊の所為で、祭りに上り鰹が食える年ばかりではない。2008年4月18日は旧暦では3月13日であり、海水温は気温よりも旧暦に近いため、一昨年の閏月からまだいくらも追いついていないこともあるのだ。浜松祭りの「鰹狂い」を目当てにやって来た世間の船は、2年続きのスカに懲りて、上り鰹がダメなら根鰹と作戦を変えたのだろう。

夜の中心市街地を歩くと、どこからか旧大日本帝国陸軍のラッパの音が流れて来る。これから祭りの終わるまでの半月余の間、「オキロヨオキロミナオキロ、オキナイトタイチョサンニシカラレル」に始まって「ヘイタイサンハカワイソダネ、マタネテナクノカヨ」で毎日を暮らす人々が居るのだ。

地球温暖化ではあるものの、遠州灘沖冷水塊はペルー沖のラニーニャ同様、太古より場所を変え,強さを変えてぐるぐると渦巻き続けているのだろう。沼津に国設鰹節工場が出来たのが西暦680年と言うから、それよりも遥かな昔、既に舞阪など遠州灘の海沿いではこの時期、「今年の鰹はどうだか?」と首をひねっていた人々が居たに違いない。

現代技術を以て首をひねるには神奈川県水産技術センターがおすすめ。NOAHの画像を見つつ、この世に紀伊半島と言ふものが無かりせば、浜松祭りに上り鰹が食える年も多かろうと、正直うらやましい。

同センターのページには「女房を質に入れて初鰹」の実態として三浦三崎からの押送船を品川沖で待ち伏せ、という記録も紹介されている。まてよ、日曜日に三浦三崎で近場の夕鰹が揚がれば、横横道路と首都高を繋いで、東京でももち鰹が食べられる勘定になるではないか。誰か挑戦する人は居らんだろうか。

そう考えると実は冷水塊さえ無ければ、浜松と掛川が上り鰹の揚がる漁場から、最寄りの新幹線駅なのだ。冷水塊さえ無く、上り鰹が岸に寄れば鰹船は3時前に帰るので、高速道路より確実だ。そのうち品川駅東口で「もち鰹あります」とやる店が出るかもしれない。

ネットを眺めていたら、芭蕉に「鎌倉を生きて出けん初鰹」というのがあるそうだ。

090330魚政のおやじ
090209節分の鰹
081022もどり鰹
081003もどり鰹
080909巻網の鰹
080908鰹の塩辛
080903鰹は片身
080814もち鰹08
080507六日の鰹
080418もち鰹ではあるが
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