2007.5.7

大鹿村へ鰹の塩辛を担ぎ上げようと魚政に行ったら、「ネコのエサ」を貰った。「ネコのエサ」とは要するに昨日の刺身、である。食品衛生法だかなんだか解らぬが、現代人は昨日の刺身を食ってはいけないことになっているらしい。魚政のジイサマはこれが許せんという訳なのだが、私も同感である。大体現代人は魚を加熱して食うというと、サバの味噌煮位しか思い付かないのではなかろうか。スーパーの値札を見ると鯛の兜煮すら作る人は少ないようだ。遠州人にしても鰹は刺身、と決めてかかっている。その刺身にしたところで、江戸時代までの、いや東海道鉄道が明治23年に開通するまでの日本人が、普通に食べていた刺身の鮮度は、現代では御法度なのだ。

「本朝食鑑」
    人見必大 著 元禄8(1695) / 島田勇雄訳注 平凡社東洋文庫 1980刊

は「日本食」ならぬ「日本の食」の参考書として傑出したものだと思う。これには「緑色になった刺身を食べ過ぎると酔うから気を付けろ。」だの、「房州館山の山中には硝石を産し、その粉を振り掛けると、古い魚を新しいものと偽ることができるので、気を付けなければならない。」など楽しい話が詰まっている。先人ののどかなことよ、と嘲っていると、「新幹線の弁当のトンカツな、ありゃあ緑色になった肉に「カラーフレッシュ」ってのを振り掛けるとピンクになる訳さ、それで揚げちまえば解らないっての。」とは大鹿村ゆかりの「世間の人」シローさんの説なので御注意。

とにかく遠州舞阪港から大鹿村に担ぎ上げた「ネコのエサ」も食っちまえ、と思ったが、そうは食品衛生法が卸さない。帳場の入り口に頑張った食品衛生管理者らしいのに「ルールを守って下さい。」と追っ払われてしまった。仕方なく遠州舞阪港で貰った「ネコのエサ」は信州大鹿村を経て我が家に辿り着いた。帰路、飯田で確かめると、舞阪港で入れた氷がまだ残っていたのは、魚政でもらった発泡スチロールのケースの威力だ。4kg程あったので食いでがあった。あちこち遊び回って400kmほどの旅の後なので、次のように食った。

私のレシピ

もち鰹は刺身で食って、皮は下記の角煮と同様、腸と肝で塩辛を作るのだが、こちらは「昨日の鰹」のレシピということになる。



090330魚政のおやじ
090209節分の鰹
081022もどり鰹
081003もどり鰹
080909巻網の鰹
080908鰹の塩辛
080903鰹は片身
080814もち鰹08
080507六日の鰹
080418もち鰹ではあるが
070918今年の鰹
070727ごんじい
070507私のレシピ
070507塩辛の道2
070503塩辛の道
050703鰹の季節
040805異常気象
030615塩蔵醗酵食
020623今年の鰹
010924 もち鰹あります