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間取り

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こうして現在の住宅の寿命を全体として考えると、ものとしての寿命というよりも、間取りが合わないといった、使用価値としての寿命が早く来てしまうという要素が大きいようです。

伝統的な民家建築では100年ぐらいは使う、という家が多かったようです。これに対し子供が育って親が年老いてゆく、というライフサイクルに合わせて、おおむね30年ぐらいで家を建て替える、そのためにはものとしての寿命が使い尽くされなくても、あるていどは仕方ない。という考え方で、現代の商品化住宅は作られているのではないでしょうか。

30年程度で建て替える家、というのが定着したのは戦後50年程の間のことではないでしょうか。戦災復興の緊急避難的バラック暮しに続く時代、住まい方だけでなく、日本人の生活全体が歴史上かってなかった変化の波に洗われました。「米づくりは50回試して一生が終わり」という農業的な時間のなかで、大きく変わることは「大変ですよ」とマイナスイメージだったものが、産業近代化とともに目まぐるしい変化を遂げました。

人口の都市集中もその「大変」のひとつでしょう。家を建てても自分の子供が同じ場所に同じように暮らすかどうかは判らない、50年はおろか30年先にどんな暮しをしているのかも想像できない、というのがこれまでの日本の50年でした。そうした中で以前は「6畳」「8畳」「4畳半」などと広さで呼ばれた部屋を使いこなす、という暮らし方であったものが、「子供室」「書斎」「家事室」というような機能による呼び方に取って代わられました。新しいライフスタイルを提案する、というメリットがあった反面、ものを使いこなし、寿命を使い尽くすのではなく、使用価値としての寿命に縛られてしまう、という側面があったのではないでしょうか。

人口の都市集中は土地不足という事態も引き起こしました。限られた敷地では庭先に隠居屋を建てる、倉庫を改装した子供部屋をもう一度改装して物置きにもどす、ということが出来ないため、そのつど建替え、ということになります。

1990年代に入り、バブル崩壊とともにこの流れが少しづつ変わってきているように思えます。産業構造近代化が一段落し、欧米と同じような成熟期に入りました。右肩上がりの経済に乗った土地狂乱も終息しています。これからの50年はこれまでの50年のような激変期ではなく、もっと緩やかな時代ではないでしょうか。

世界中で「環境問題」が21世紀最初の人類の課題だと考えられています。欧米での「環境問題」のとらえ方を見ると、ローマ時代から西部開拓史に至るまで、「征服」の歴史の上に成り立っていた西洋文化が、地球上のどこにも「征服」できる土地が無くなってしまったのに、パニックを起こしているとも見えます。

これと対照的なのが伝統的な日本文化で、アジア大陸のはずれで江戸時代までの何千年かの間、まわりの環境に「何も出さない、何も取らない」という暮しを続けてきました。欧米では人類最後の日を「引き延ばす」という響きを持つ「サステイナブル」という言葉が環境問題の解決のために使われますが、日本では「巡って元に戻る」という「リサイクル」のほうがなじみが良いようです。

住宅に限らず、建築資材の中で本当の意味で「再生」可能な資源は木材初め紙、土といった植物由来の資源だけです。鉱物・金属では「再生」とは言うものの、その中身は「再加工」「再利用」に過ぎません。こう考えると木造住宅は21世紀にふさわしい住まいと言えそうです。しかも世界中の森林を「征服」することで成り立ってきた西洋文明にはない「森を育てる」文化が育んだ日本の木造建築には、伊勢神宮の式年造営に象徴されるような「生まれ変わることで永遠の寿命を保つ」工夫がありそうです。

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