古山惠一郎
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Clapham Park, 1872


図1
OLD ORDINANCE SURVEY MAPS
Lomdon Sheet 125
Clapham Park & Balham 1872
Published by Alan Godfley Maps
The Off Quay Building, Foundry Lane
Newcastle upon Tyne, NE6 1LH




ヒースロウへのファイナルアプローチにて

馬車の時代の高級住宅地

1825年にはイングランド北部の炭坑地帯でトロッコの為に引かれていた延長40km程の「鉄道」というものが、50年後には世界で250,000kmを超えていたそうです。化石エネルギ−によって建築技術も大きく姿を変えました。現在の我々が普通に住宅としてイメ−ジするものも、19世紀以前の人にとっては思いもよらないことが多いのではないでしょうか。18世紀までにヨ−ロッパ最大の都市となっていたロンドンでは、土手の金貸、保険屋(世界貿易の船が着くテムズの土手=バンクが彼等の本拠でした。)などの富裕層は、市内の喧噪を避けて対岸の田園地帯に豪華邸宅を建てはじめました。

在所に広大な領地を持ち、(英国の土地所有者は現在でも800人程です)ホワイトホ−ル等に別宅を構えるそれまでの貴族階級とは違う、都市を富の源泉とする新たな特権階級の誕生です。馬車の時代の「通勤」は、自分で馬に乗るわけにも行かないため、運転手が必要となる、馬車はバックが出来ないため、家の前には大きな車回しが要る、となかなかのモノイリです。19世紀中ごろまでに開発されたクラパムパ−クの高級住宅街(図1)は、国会議事堂から南へ6km程、馬車で30分程でしょうか。敷地面積1,000坪から5,000坪程のこうした屋敷では当時、庭に馬場を作るのが流行ったようです。そうした一部特権階級以外の一般市民はというと、市内の裏長家で、まあデイッケンズの描くような暮しをしていたわけです。

時間と天候と空港の混み具合がちょうどよければ、ヒ−スロウ着陸前の数分間、旅客機がロンドン上空を遊覧飛行するので、この辺りを上から眺めることが出来ます。緑の多い部分がこうしたお屋敷町でしょう。

Clapham Park, 1913


図1
OLD ORDINANCE SURVEY MAPS
Lomdon Sheet 125
Clapham Park & Balham 1913
Published by Alan Godfley Maps
The Off Quay Building, Foundry Lane
Newcastle upon Tyne, NE6 1LH





鉄道通勤

ところが19世紀もなかばを過ぎるとロンドン周辺にも鉄道が出来始め、岡蒸気が走り出しました。それまで一部特権階級のものであった「通勤」「郊外住宅」が、一般市民にも手の届くものとなったのです。しかもそれまで馬車で30分掛かっていたものが、汽車に乗れば15分です。鉄道会社同士の潰しあいは激しく、汽車賃は下がりました。するとたちまちにしてそれまでののどかな近郊豪華邸宅地帯は、勤め人と化した一般市民向け小型住宅の海に没してしまったのです。郊外へ限りも無くPenny Laneが伸びていきました。

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