古山惠一郎
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Carshelton Park Road
1890年頃



図1

Carshelton Park Road
"Borough of Sutton
Unitary Development Plan 2000"より


駅周辺開発

19世紀末にはロンドン周辺の通勤鉄道網はさらなる発展を遂げていました。ビクトリア駅から15km程のサットン市は近年環境保護運動の盛んなところで、東京で言えば三鷹市・武蔵野市といったところでしょうか。このあたり、東海道鉄道が開通する明治23(1890)年頃に鉄道の開通とともに開発が進んだところだそうです。

図1中央南北の道(国道B278号)はサリー方面への間道。図下に隣接して駅が出来るとともに住宅地として開発されました。中央部分が歴史的街区(ヴィクトリア時代の住宅地)として指定されています。図1上のベイノンロードとの交差点付近には昔の宿場町風のタウンハウスもあります。

敷地面積を中央下の街区の図示部分でみると
27,015.74平方米/58戸=約141.15坪。


テムズを渡り、Pink Floyd/Animalsのジャケットで有名なバタシーの発電所の脇を通れば40分程でコ−シェルトンビ−チの駅に着きます。


この辺りいわゆるグリ−ンベルトよりは手前に当たるのですが、所々大規模なオ−プンスペ−スが目に着きます。地図によればこの付近にあったのは公園・下水処理場・ロ−マ時代の遺跡でした。



コ−シェルトンビ−チ駅は待合室に大きな暖炉まで備えた堂々たる駅舎。

それをそのまま使い続けていると言うのがさすがに大英骨董品店です。



駅に続いて店鋪らしいものがあるが閉まっています。









19世紀末の駅周辺開発はあの厄介きわまりない「馬車」から人々が解放された時代。まさか将来は自分で自家用車を運転して通勤する等ということが想像できなかった時代の開発なので、自家用車の駐車スペ−ス等あるわけがありません。で、辺り一面路上駐車の海です。

我が国では路上駐車といえば目くじらを立てる向きも多いのですが、考えてみるとこの程度の道幅さえあれば昼間は勤め人の車は出払っており、朝晩の出入りだけ注意すれば、通過交通の少ない住宅地ではやっていけるのでしょう。





いかにも開発分譲地らしい家が並んでいますが、110年前の町並みがそのままの姿で残っているのとこれはこれで見事です。

間口はほとんどが10m以下ですが、図1に見るとおり奥行きをたっぷりとって敷地面積は広く、裏庭が隣の家の庭に並んで連続したオ−プンスペ−スをつくり出す、というデザインです。















図1上の周辺には昔の宿場らしい町並みがあり、昔の領主のものでしょうか、池に面して大きな邸宅が残されていました。

中に入ると保育所と「サットン エコロジーセンター」という看板をかかげて、地域の環境保全の為の市民組織らしい団体が使っているようでした。

パンフレットを見ると緑・水・リサイクル・交通といったところがテ−マになっているのは我が国と同様ですが、周辺の敷地を使ってガ−デニング教室も盛んでなようです。日本では首都圏の「市民農園」が区画当り20坪程度のものが多いのに対し、戸当たり敷地面積が140坪であれば、メンテナンスにもそれなりのエネルギ−が必要でしょう。

110年前に住宅地が開発された頃には農業知識を持った住民が多かったものが、いまや放っておけば荒れ放題ということもあるのかもしれません。

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