古山惠一郎
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その後の浜松

近代化の始まり

表通りだけを見ていると,近代都市としか見えない浜松ですが,一歩路地裏へ足を伸ばすと,様々な時代の遺伝子の様なものが並んでいます。お寺はそうした「都市の遺伝子」の代表的なもののひとつでしょう。成子町の木戸の内側にはお寺が並んでいまが、中には駐車場の片隅のかわいらしいお寺もあります。













家康の出世城ではあっても「10万石といっても,町の様子は8万石程度。」などと言われた東海道五十三次の宿場町であった浜松ですが、明治23年に東海道鉄道が開通すると近代化の波に洗われることになります。浜松駅は当初、平田西見寺裏に予定されていたものが、

「そんなものが出来たら、うるさくて仕方が無い、異人がうろついたんでは、 旅人が怖がって旅篭に泊まらなくなってしまうから止めてくれ。」
という訳で街並から離れた法雲寺裏に決まったそうです。

しかし鉄道が開通し、汽車が走り初めてからの産業の移り変わりは目を見張るものでした。遠州人の時代を見る目には確かなものがあったようで,鉄道に掛ける意気込みは他所を圧倒していた様です。

東海道鉄道の工場設置が議会に計られると、 「警官隊の取締を避け、近隣の駅から三々五々に分かれて汽車に乗り込んだ誓願隊が数百人規模で国会を取り巻いて気勢を揚げた。」のだそうです。(誘致賛成の誓願です。) 工場が出来ると「彫りモンの一つも入っていねえ様じゃ職人とは言えねェ。」という、江戸下町の職人衆が新橋工場などから大挙移って来ました。 現在の浜松人の源流の一つはこの辺りでは無いでしょうか。機械化を取入れた新興産地の遠州木綿が関東大震災の被害をまぬがれたのも,浜松の発展を助けました。

鴨江周辺の路地裏には建物こそ建て変わっていても,浜松が近代的工業都市に変身した頃の面影を感じさせる景観があります。



大正時代の郊外





三組町の裏手から秋葉坂下に向う辺り、住宅地中に大正時代の郊外を思わせるオープンスペースが広がっています。こんな都心部に,とちょっと珍しい景観です。

ありきたりのマンション等が建てられてしまわないことを願うのみです。













茶の湯の井戸



高町から連尺町の交差点、江戸時代の大手門へ降りる現在の坂は昔は御城内であり,当時の街道は高町を南へ入ったこの辻を左に折れていたのではないかと思われます。







この近くに家康公在城当時、茶会に使われた「茶の湯の井戸」があったのだそうです。

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