古山惠一郎
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その後の浜松

近代的都市住宅

第二次世界大戦では空襲により、中心市街地の殆どを消失した浜松でしたが、昭和24年という戦後の極めて早い時期に下図の松城アパート、25年に亀山アパートと真っ向坂アパートが竣工しています。ドッジラインによる緊縮財政が動き出す前の、いわば「どさくさまぎれ」の時代と言って良いでしょうか。

これらのアパートは、震災復興後に同潤会によって供給された集合住宅群に多くを学んでいます。震災復興で培われた技術が戦災復興に利用された,といって良いでしょう。

同潤会の集合住宅群はその後の近代的な都市住宅、都市生活のあり方を目に見える形で実現したものでした。終戦直後に建設された市営アパートは東京における青山アパ−トと同様、浜松にとっての貴重な歴史財だと言えるでしょう。長く後世に残したいものです。










塔の時代

住宅地ではありませんが,この時代を代表する建築のひとつは、撤去された塔を持つ市役所旧本館でした。玄関上の巨大なコンクリートのかたまりは新生工業都市の活気を良く表しており、隣にそびえる望楼も浜松の未来を表しているかの様でした。昭和30年頃、市内にはオートバイのブランドメーカーが20数社あった,と言われています。

塔を持つ建物の好一対は、鴨江の銀行協会の向いに立つ旧浜松警察署でした。空襲に耐え,終戦まで市民のセキュリティを守っていたとはいえ,四面に付けられた窓は小さめで、市民生活が「警察に覗かれている。」という印象を持つものだったのと対照的に,市役所本館に建てられた望楼はガラス張りで,中で働く職員の姿が遠くから見えるものでした。

市民に親しまれ続けたもうひとつの塔は松菱デパートのネオン塔でした。昭和12年の開業後、エサが無くなって殺されたクマのオリに撃墜されたB29のパイロットを入れておいた,などという戦時の困難を乗り越えて,長く市民に取っての「消費の殿堂」でした。その後1967年には遠鉄名店ビル、1971年には西武百貨店が開店し,高度経済成長期の消費を支えますが,閉店した松菱百貨店の新館には昭和12年のネオン塔をイメージする新しいネオンが残されています。







1951年から最近までの中心市街地の様子を3Dアニメにしてみました。ご覧下さい。


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