古山惠一郎
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Monroe, WA 1893年

大陸横断鉄道









シアトルから北東へ車で1時間半程、国道2号線沿いのワシントン州モンローは1893年、グレ−トノ−ザン鉄道が開通すると、木材集積基地として急速に発達した町です。「土地があれば羊と牛が草を食って太ってくれるから、人間は働かずに豊かになれる。」というのがキリスト教徒の潜在願望であるようで、それを実現するため、19世紀末に登場したのが北米の大陸横断鉄道です。

もともと旧国道沿いに開拓者が住み着いていた田舎の町だったものが、製材工場が次々と建てられ、木材ブ−ムに湧いたものの、1929年の大恐慌とともに製材ブ−ムは去ました。大恐慌時代には近隣の人達は誰も現金等持ち合わせておらず、地域の助け合いの為に地域通貨を発行した事もあるとの事。米国人にとって「地域通貨」と言うとこの辺りが原形と言う事の様です。戦後は次第にトラック輸送の発達とともに鉄道の時代は再び巡ってこず、「西部の田舎町」であったものが近年になって家具等木材関連を中心とした工業団地を作り、少し元気になって来た、と見受けられました。

これ又住宅地ではないのですが、西部の田舎町の「メインストリート」を眺めてみましょう。我が国の感覚からすると道路が異様に広い。小さな田舎町であるにも関わらず、道幅が30m程あるのです。「うーん、土地があまる程だから、道幅もあまらせているのか。それとも将来、大都市になる事を見越して大規模な町造りをやったのか。」とも思えるのですが、よく観察すると片側3車線の様に見えるメインストリートの、外側は駐車帯に使われているのですね。

考えてみるとこんな田舎町では、自転車で買い物に来る人の為の商売は成り立つわけがない。今でこそ自家用車を店の前に横付けしている人達は、町が出来た頃には荷車で買い物に来ていた事でしょう。「バックトゥーザフーチャー」という映画でこの時代の西部の田舎町が出て来ましたが、あのマッドドッグ・タネン一味と主人公が決闘をするのが丁度このサイズのメインストリ−トです。

通りを歩いて町並みを観察してみましょう。


























上左の建物には「モンロ−歴史協会」と言う看板が掛かっていました。





「モンロ−歴史協会」のドアを開けてみました。 「モンロ−歴史協会」の主であるらしい私と同年輩のオバサンと、目つきの悪い近所の小僧みたいなのが居て、オバサンが歓迎してくれました。

  • 昔、アイスクリーム工場が有って街の自慢だったこと
  • 30年代には現金が全く無くなってしまって暮らしに困ったので、街の中だけで通用する「お金」を発行してしのいだこと。
  • 公的援助は事務所の建物の家賃の補助ぐらい。新しい進出企業は「金儲けしか考えて無い。」ので、モンローの歴史などには何の興味も示さないこと。
  • メインストリートの景観整備も、機会ある度に声を上げているのだけれども、なかなか動こうという人が増えないこと。
こういうところは暇な人が多いので、入るのは簡単、出るのが大変です。

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