古山惠一郎
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2006.1.22

Windermere, 1847

ピーターラビットと機関車トーマス

19世紀のヨーロッパ、我国でも20世紀に入って住宅地の姿は大きく変わりました。 そもそもの始まりである化石燃料の使用とともに 英国でも「ピーターラビット族」と「機関車トーマス族」が火花を散らしたのがこの時代です。












日本ではまだ誰もが天下泰平の夢をむさぼっていた頃、英国では化石エネルギ−を動力に使う、という新事態が進行しはじめていました。18世紀までに炭坑の固定動力源として開発が進んでいた蒸気機関は、19世紀に入るとすぐに「岡蒸気」と化して英国を走りはじめ、あっという間にヨ−ロッパ、北米に拡がります。

人力、畜力といった生物エネルギ−、神に祈る事で手に入れていた風など環境エネルギーは人間の「技術」で制御可能な石炭にとって代わられ、それまで人間の流した汗の結晶であった様々な製品が、機械によって大量に作られはじめます。ピーターラビットと機関車トーマスの対決が始まったのです。戦いの舞台の一つが遠くロンドンを離れた北イングランドの湖水地方でした。

ロンドン近郊で1866年に生れたピ−タ−ラビットの作者、ベアトリックス・ポッターは1905年に湖水地方に移り住みます。湖水地方にはウィリアム・モリス等が繰り広げていたア−トアンドクラフト運動の師匠であるジョン・ラスキンが1872年から1900年に亡くなるまで住んでいました。ラスキン、ポッタ−等「自然派」が湖水地方に親しむきっかけを作ったのは、同地に生れ同地で1850年に没した「詩聖」ワ−ズワスであった事と思われます。

さて19世紀前半に一大ブームと化した鉄道建設熱は湖水地方にも及び、1847年、スコットランドへ向かう北部鉄道本線から湖水地方の中心であるウィンダミア湖までの支線が開通しました。例により例の通りの開発派と自然派との綱引きがあり、当初湖岸のボウネスまでの予定が、山の中腹までなら許そう、という事で折り合いがついたのが現在のウィンダミア駅です。かくして湖水地方は一部の自然愛好家のものから一般大衆の自然観光のメッカと化し、現代人の我々も鉄道によって、さらに現代では高速道路とレンタカーのおかげでいと簡単にワ−ズワスの愛でた「山紫水明所」の風景を楽しむ事が出来ます。地下の「詩聖」もさぞ迷惑していることでしょう。











左はウィンダミア駅の観光案内所で紹介してもらった民宿。

英国内だけでなく、 日、米、カナダ、シンガポールと世界中から若い女性が押し寄せている様です。

外部同様室内も少女好みの内装で、ピンクのレ−ス付きのベッドではおっさんは 落ち着きませんでした。





左は知る人ぞ知る
「アマゾン海賊のボート小屋」

アーサー・ランサム
「ツバメ号とアマゾン号」他
岩波書店




John Ruskin の隠居屋、BrantWood。

古代には殆どが森だったといわれる英国の気候は、木を切った後に羊・山羊を放しておくと、 こいつらが葉という葉を食べてしまうので、後に残るのは地上数mmという芝だけになり、 ゴルフ場のような景色が出来るのだそうです。










宮脇昭さんによれば生態学的には荒れ地とほとんど変らない、最も荒涼とした植生なのだそうですが、 実はロンドンから湖水地帯までの鉄道沿い、高速沿いでは町をはずれると、日本人の目には「ゴルフ場の景色」 と見えるこの景観がどこまでも続いています。











こうした「ゴルフ場の景観」に数百年に渡って営々と石垣を積み、土地所有権を主張し、羊と牛を飼って 暮らして来た湖水地方なのですが、WTOで農産物価格が下がり、狂牛病がこれに追い討ちを掛けて、 地域の農業は殆ど瀕死状態です。

コニストンの民宿で朝食に「ハムとチーズ」と頼んだら、出て来たのは渋団扇程のボンレスハムが2枚と、日本で6ポ−ションと称する丸いのを6つに切った6切れ程が一切れと言うチーズでした。「農産物価格低下に抗議中」の構えなのですね。「これは儲け。」と食べはじめたのですが、とても食べきれる量ではありません。3/4程は残して昼飯にしました。

若者は仕方なく都市部に仕事を求め、のろのろと走っては道ばたに停まる観光客の車を呪いつつ、幅 4.8m 程の田舎道を通勤車でぶっ飛ばすのでアリマス。

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