古山惠一郎
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その後の浜松

郊外住宅

明治以降の浜松で,初期の郊外住宅と言って良いものは、武家地の奥に広がる山林を開いて出来た、実業家たちの別荘でした。






yamaha house

そうした屋敷もあちこちでマンション用地に地上げされ、1戸が24戸などとなってしまっています。

「yamaha houseもhonda houseもsuzuki houseも浜松にあるし、toyota houseも湖西だよ。」と言うと、大方のガイジンさんは目が点になってしまいます。

今も広沢に残っているのはtoyota house(上右)です。浜北には本宅があるそうです。実業家の生家で傑作なのは天竜区船明のhonda house(下左)ではないでしょうか。生家の跡に縁者が杉の木を植えたので、今は元の杉林に戻っています。鼠野町のsuzuki house(下中)は残念なことに芳川の河川改修で河川敷になってしまったそうです。

湖西市のtoyota house(下右)では先日Toyotaの会長・社長が列席して、豊田佐吉の生誕150周年の記念行事をやったそうです。引佐町の井伊直政の御誕生の井戸に彦根市長が来るようなものです


honda house


suzuki house


toyota house

honda house
http://ja.trekearth.com/gallery/Asia/Japan/photo444222.htm

現在の広沢周辺には、自給用の畑を持つ武家屋敷の間に、そうした邸宅が広がって行った様子が残されています。古くからの住宅地の景観を作っているのは,ここでもホソバの生垣であり,住民によってきれいに手入れされた生垣は優れた環境となっています。

1960年以降の住宅ブームでは、そうした明治以来の郊外住宅の彼方の農地に、大量の住宅地が供給され始めました。









しかし田んぼあるいは畑を一枚づつ住宅地に転用するという方法では、道路などの都市施設を整備することが困難でした。それより何より,そうした方法ではとても差し迫った宅地需要に追いつかない,というわけで区画整理による住宅地の大規模開発が進められました。













例えば入野町南平台などは新幹線建設の際の土取り場だったそうです。山手町は1972年に分譲が開始され,現在では緑豊かな住宅地になっています。戦後の住宅難時代をくぐり抜けて,高度経済成長の仕上げに「夢の住宅地」としてデザインされた山手町での夢のマイホームは,50坪前後の敷地に30坪戦後の家が建つ「庭付き一戸建て」というものだった様です。

この時代、一家の主人が自家用車を持って自分で運転する、ということは決して大衆的なことではありませんでした。普通の人、ましてや独身の子供たちは、バスなど公共交通機関を利用するのが当たり前だった時代です。50坪あれば立派な「庭付き一戸建て」になったのです。

現在、建替え時期を迎えている1970年代の「夢のマイホーム」では、成人家族数が自家用車の台数となってしまって、一階は駐車場と玄関のみ、LDKは2階、というプランが増えつつあるのではないでしょうか。



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