2008.10.4
言わんこっちゃない
建築審査会の付言
浜松市都市計画マスタープラン
建築審査会
完成予想図2
Forest Park
完成予想図
ふさわしいか
臨江山の住宅地の景観
ブルーな話
入野臨江山のまちづくり

60/200を考える
住宅地の密度
住宅地の近代
外壁のはなし

フォレストパークの成り立ち

佐鳴湖西岸が現在の姿に至った、来歴を少し調べてみました。これからのまちなみがどうあるべきかの、参考になるヒントがあるかもしれません。

文明開化の日本で、全国一斉に近代的な地図が作られました。東海道筋では明治23年、東海道鉄道の建設の際に地形図が作成されています。



これで見ると佐鳴湖の南側には入野村、丘をへだてて北西に神谷村があります。斜面には針葉樹林が続きますが、水のない時代ですので丘の上は殆ど草地、荒れ地で、現在の杏林堂さんの辺りに松林が広がっています。中西病院の西側に一部広葉樹林が見られます。

臨江山の集落は入野の本村とは川をへだてて、堂貫坂の下に日当りの良い南向きの屋敷が並んでいます。

入野の西南から浜松御城下菅原町に達する堀留川は1973年に開通したものです。

昭和12年には浜松市とその周辺に都市計画が定められました。この折、佐鳴湖西岸の東南部は「住居地域」の指定を受けたものと思われます。



1971年、昭和46年の都市計画図では左の様になっています。既に上島柏原線と竜禅寺雄踏線が指定されています。

住居地域の指定を越えて広い範囲が佐鳴湖風致地区に指定されています。佐鳴台と臨江山周辺を除けば、規制の厳しい第一種地区です。西平から舘山寺街道までが佐鳴湖公園に囲まれた,あるいは「公園の中の」閑静な住宅地、として計画されていることが解ります。

堂貫坂の上を含む西平では土地区画整理事業による住宅地の開発が始まっています。



1980年には建築基準法・都市計画法の改正によってそれまでの住居地域が第一種住居専用地域・第二種住居専用地域・住居地域に細分化されました。

佐鳴湖西岸では、佐鳴湖に面した上島柏原線東側が第一種住居専用地域、雄踏街道と上島柏原線沿いのにぎわいの演出が予定される地域が住居地域、それ以外が第二種住居専用地域に指定されました。

西平の区画整理は完了し、南平ではそれまで住居地域の指定を受けていた地域のうち、田んぼとして利用されることが好ましい部分を、市街化区域から外した上で、区画整理事業による住宅地の開発が始まりました。

それまでの地域の伝統を受け継ぎ、新しいまちづくりを進めるに足る、都市デザインだと思われます。



3年後の1983年には建築基準法、都市計画法に基づく各種の指定をともなって佐鳴湖西岸土地区画整理事業がスタートしています。



その後。住居地域の細分化に伴い、第二種住居専用地域はおおむね第一種中高層住居専用地域に指定されました。

それまでに開発が終わった。西平・南平の時代からは都市化の状況は大きく変わり、それまでの第一種住居専用地域・第二種住居専用地域という用途規制だけでは、増え続ける高層集合住宅の混じる住宅地で、良好な環境を守れない、という事例が全国から報告されました。

このため佐鳴湖西岸土地区画整理事業では、左図に見る用途地域の規制に加えて、地区計画、景観形成計画、建築協定による良好な住宅地のための基準が定められました。