2010.7.5
-風の中の家 1
-風の中の家 2
-生態系に配慮した敷地
-省エネに配慮した敷地
-潮風のオープンキッチン
-床と壁
-夏と冬
-現代茶の間
-風の中の家 3
-
-Slide Show
-実施図面(pdf)






最近とんと畳の部屋を見ません。たまに目にすることがあっても、床の間を据えた立派な座敷、という例が多いようです。そして立派な座敷は正月くらいしか使うことがありません。モッタイナイことだと思います。

畳の部屋が無くなったにもかかわらず、日本人のライフスタイルには「床座」が広く残っているようです。今回の若きクライアントも、お住まいだったアパートでは、フローリングの真ん中に置かれたローテーブルが、生活の中心でした。ダイニングカウンターはあるのですが、食事の後でゆっくりくつろぐ、というしつらえになっていないので、自然とこちらが「くつろぎの場」になったようです。

これは旨く行くかもしれん、というわけで提案したのが「21世紀風茶の間」です。遊びにきたクライアントの友人諸氏にも好評とのこと。畳の上で食べるという、日本文化の心髄がこのまま忘れられ、儀式用に年に3日しか使われない座敷を、新建材で作ったものが「現代和風」ということではあまりにもモッタイナイ、と思います。

茶の間は正座して銘々膳を据えればフォーマルダイニングになりますが、「膝を崩して」ビールと枝豆という、くつろいだ飲み食いの場にもなるのは、小料理屋の小上がりでも実証済みです。この「小---ちょいと」というのも日本文化のすぐれたところですね。食卓を片付ければ、寝室にもなります。



そうした「和風」の融通無礙なところが、明治以降の「近代合理主義」では排斥されました。「男女七歳不同席」のついでに「食べるところに寝るのは非衛生」というのが住宅計画の基本とされてしまいました。

明治時代、「四民平等」で誰が畳を何枚敷いてもお咎め無し。という頃にも混乱がありました。「畳数の多い家程立派な家」「お城の様に廊下も畳」ということで、座るだけの座敷に限らず、立って歩くスペースにまで畳が敷き詰められてゆきました。

テレビで見る通り、お城の中を立って歩けるのは、将軍様・御殿様だけであり、家臣は裃を引きずって膝で進まなければならないことなど忘れられ、御殿の様な家中に畳を敷き詰めて、庶民は殿様の気分を満喫したのです。御殿=殿様=何もしないでゴロゴロしている=シムケン、という病原菌に、皆やられてしまったのです。

この混乱に輪を掛けたのが、戦後の農村住宅改善運動でした。「男どもが殿様みたいに座敷に座って、何もしないのに、女は土間を這いつくばっているのは、男女同権への侮辱だ。」というわけで、土間に板を張り、座敷と同じ高さにすることが、全国で押し進められました。



かっては「土間=動的空間」「畳敷=静的空間」という空間秩序を保っていた和風住宅は、動的空間と静的空間の床の高さをそろえることで、空間的混乱に迷い込んでしまったのです。定年後の亭主が「粗大ゴミ」扱いされるのも、この辺りと関わりがあるかもしれません。座敷のある家

今回、食事空間・くつろぎ空間として「現代茶の間」を組み込んでみると、これが実はローマ帝国からカウチポテトに至る洋風のくつろぎにも通じることが解りました。 ローマのくつろぎ




殿様か下男か
御殿か獄舎か
殿と獄
禍根