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静岡県建築士会
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「浜名湖の立面図」
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■ロマンに満ちた姫街道

姫街道は、遠淡海(とみつあふみ)とよばれ、万葉集にも歌われた浜名湖の北側を通る、ロマンに満ちた古道である。

かつて、調査のために何度か歩いたとき、いつも新しい道を歩いているような不思議な魅力を感じていた。深い山道を歩いていると突然に光り輝く美しい湖水が眼下に広がる。万葉の時代の人々もこの湖水を見て何を思ったであろうか。山椿の咲く山路、石だたみの道、突然に姿をあらわすちいさな古寺、いつも新しい発見がある。何とも不思議な道である。

元来は、本坂通(ほんざかとおし)と呼んでいたこの街道は、古代より重要な街道で、一時期は、この本坂通が官道として東海道に指定されたこともある。

■姫街道、名称の由来

この本坂道が一般に「姫街道」という、なんともやさしい名前で親しまれているが、この名前の由来には諸説がある。細江町史によると、宝永4年10月4日(1707年)の大地震で浜名湖南部が大きな被害をうけ、新居の関所も流されてしまった。翌日から東西を往来する人々はすべて本坂道を通るようになった。この街道の人々は、自分達の被災の復旧も手がつかず、通行人馬の供給と街道の修理に没頭せざるをえなかった。沿道の領主や庄屋などは幾度か幕府に通行規制処置を願い、享保2年10月(1717年)本坂道への大がかりな通行を禁止した。以降、時折通る大きな行列といえば、公家や武家の奥方、姫君ぐらいのものになった。

しかし幕府は、この道を重視して重要な荷物、御判物などを安全に通すために明治になるまで道中奉行に支配させた。

享保2年以降、本坂道を姫君や婦女子が多く通ったので、人々が姫様道とか姫街道と呼ぶようになった。明治に入ってこの名称は正式な街道名になった。とある。

■三ヶ日の地名

三ヶ日は、只木遺跡から出土した三ヶ日原人(先土器時代の化石人骨)や宇志瓦塔(日本一の瓦で作った仏塔)の出土で知られるように、豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、古代から人々が住み、垂仁天皇のころに都にしようとしたことがあって、御神里(みかみのさと)と呼ばれ、三ヶ日になったといわれる説があるほど、豊かな土地であった。

■浜名湖北側の史跡、文化財

三ヶ日、細江の浜名湖の北を通る姫街道沿いから引佐に至る地域は、古代から近代に至る各年代の重要な文化財、歴跡、遺跡の宝庫である。

姫街道は、東海道の脇街道として栄えただけではなく。信仰の道としても大きな役割を持っていた。姫街道の別名は豊川道ともいい、「稲荷街道」であった。また、半僧坊道、秋葉道、鳳来寺道、長楽寺道と、いたるところで交叉している信仰の道でもあった。

姫街道や、この地域について書かれている本、印刷物、調査報告書等が数多くあるので、町立図書館、資料館等を訪ねてみるとよい。

■注目される浜名湖地域

浜名湖の北側は古い歴史をひめた、ロマンに満ちた地域である。南側は、国土軸として主要な幹線道路、鉄道が通り近代都市圏を形成して来た。

今、この浜名湖地域が注目されている。浜名湖の北を第二東名が通り引佐インターチェンジは、第二東名と現在の東名をジャンクションで繋ぐ連絡途上にあり、三遠南信自動車道と伊勢湾口道路に繋がる第二国土軸にも通じる国土構造上重要な地域と考えられるようになったからである。その上、2000年までの着工を打ち出した、首都機能移転先としても浜名湖周辺が候補地に上げられているからである。

■浜名湖の将来イメージ

静岡経済同友会浜松協議会は、平成8年2月に「県境を越えた都市連携」をテーマに経済サミットを開催し、「遠州三河経済圏」の提言をしている。その内容は、浜松市を中心に半径40キロメートルの地域には、東に御前崎港、西に三河港があり、さらに静岡空港、中部国際空港、第二東名、三遠南信自動車道を含み、高速交通、輸送基盤も整いつつあり、その上当圏域は人口200万人に達し、地域の自立という観点から高いポテンシャルを持つ圏域である。今後は、県境を越えた都市の連携を深め、首都圏や中京圏とは一味ちがった、自立した経済圏域の確立を目差したものである。

このことは、国土レベルで考えても、30キロメートルという極めて近距離に2つの「中核市」が平成8年4月に誕生し、両都市を中心とした地域が相互に連携、補完しながら1つの経済圏、生活圏として機能すれば、東京圏と関西圏のほぼ真ん中に新しい地方中枢都市圏が誕生するものと注目されている。

この地域を全国的な広域都市圏との比較(1990年)で見ると、浜松・豊橋都市圏の人口173万人、工業出荷額8兆2,820億円、小売業年間販売額1兆4,691億円である。前橋・高崎都市圏の人口173万人、工業出荷額4兆9,390億円、小売1兆7,720億円。北九州・福岡都市圏は人口434万人、工業6兆9,160億円、小売3兆6,583億円である。以上のような統計から見ても、この地域は、平成7年12月11日に基本的な考え方がまとめられた、次期の全国総合開発計画(21世紀の国土のグランドデザイン)の重要なコンセプトの一つとされている「地域連携軸」の核となるモデルとして、国土計画上も重要な役割を果たすものと期待されるのである。

遠州三河経済圏、あるいは浜松・豊橋都市圏は、「浜名湖生活圏」とも言える。

21世紀の国土づくりの基本は「生活の豊かさと自然環境の豊かさが両立する、世界に開かれた活力ある国土の構築」であると言う。

「浜名湖圏」は、東西に港を持ち、空港が計画され、大きな経済基盤を持つ地域である。さらに古い歴史と豊かな自然に恵まれた、東西交通と南北交通の要となる地域である。

この地域が、それぞれの持つ機能を広域的に補完しつつ、都市と自然との共生を計っていくことができれば、正に理想的な圏域を形成することが可能である。

■エコロジカルな都市づくり

浜名湖圏域ほど、あらゆる意味で恵まれた地域は他に無い。この天の恵みを十分活かして理想的な地域を形成するためには県境を越えた、広域市町村の自主性と自立性を尊重しつつ連携して、広域一体のまちづくりをする必要がある。

何よりも、この地域の母とも言える浜名湖を美しく維持し、守らねばならない。そのためにも、周辺の自然を大切に、広域一体として「エコロジカルな都市」を目差したい。

そうすれば、垂仁天皇のころ都にしようとしたことが、今、実現し都市機能が浜名湖に移転、正に「生活の豊かさと自然環境の豊かさが両立する世界に開かれた地域」が実現できるであろう。

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