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社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
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No.3

□ファッション情報の発信地原宿の秘密
□表舞台と舞台裏
□神宮造営で出来た非日常の道路
□肥汲み道路の変身






表参道は東京の代表的な「ブールヴァール」のひとつ


多くのファッションブティックの入る同潤会原宿アパ−ト。


表参道から一歩はいると「路地」網が拡がる。


竹下通りよりも客単価の高そうな「モ−ツァルトの子路」。元はと言えば肥汲み道路だっ。


計画的なマンハッタンの道路は全て「表通り」


で、「表通り」も所によってはキタナイ。


「路地」は抜けられるが「アンダーグラウンド」は、、、


紳士諸君を引き寄せる「街の灯」。裏表無しのニューヨークよりもこの方が「文化的」なのでは、

表舞台と舞台裏

見た方もいらっしゃるかもしれませんが、しばらく前にNHKテレビで「原宿」の特集がありました。 そこで面白かったのはファッション・広告・情報関係の専門家による 「何故原宿はファッション情報の発信地として枯れてしまわないのだろう。」という話でした。

ファッションの様々な場面が写し出された後のまとめで、 原宿には表通りと同時に裏通りがあるのが、ここをファッションの発信源としての生命を保っている秘密だ、ということでした。

表通りであるその名も「表参道」にはきらびやかなトップファッションのブランドショップが並びます。 そして移り変わりの激しいファッション業界で、それらのブランドショップの商品が常に時代のエッジを走り続けることが出来るのは、 時代のスポットライトを目指して、格闘を続ける名も無い無数のファッション・アトリエがすぐ裏通にひしめいているためだ、ということなのです。 このような表舞台と舞台裏が空間的に別の場所にあるのではなく、 道一本隔てた同じ場所にあり、表通りと路地裏からなる一つの街並を形成しているのが他の場所にはない原宿の秘密なのだそうです。

確かに丸の内のビル街と御徒町・上野の下町商店街が隣り合わせになることはありません。 銀座の表通りに並ぶ高級商品群も、多くは何処か離れた下町の工業地域で作られたものでしょう。 原宿にはそうした裏表が揃っている、というのが原宿の秘密だ、という結論には説得性がありうました。

さて、この「表参道」が出来上がるにはそれなりの事情があった、という話を田村明さんが紹介(注)しています。

それによると、表参道は都市計画道路ではないのですね。明治神宮の代々木遷座と同時に造営事業の一部として行なわれたもので、 明治神宮を立派に見せるというただ一つの目的の為に、当時巾12間であった青山通りから、 20間巾のあらゆる贅沢を究めて作られた、ブールヴァールが1.1kmだけ、明治神宮に向かって一直線に延びたのです。 周囲の都市状況を無視した、いわば白昼夢の様な非日常空間であったことが、 ファッションの表舞台としての生命力を保っている背景の一つ、ということです。 中程にある同潤会表参道アパートも計画的な土地利用が計られた訳ではなく、 旧浅野公上屋敷が表参道によって切り取られ、半端な土地が余ったのを利用したものだそうです。

これに対し、表参道から一歩裏に入ると、近代的な都市計画どころか、 江戸時代の近郊農村であった頃からの踏み分け道が路地となって網の目をなしています。 そうした路地裏の外から目につきにくい場所で、例えば「竹の子屋」のごとき、 表通りを歩く大人から見れば怪し気な店が、若者の人気を集め、時代の先端に躍り出て、表通りを飾る様になる、という訳です。

ファッションと同じ様に、暗くなってからの紳士諸君も、表通りより路地の方が落ち着く様であります。 私など千歳村の密林地帯など人の後ろに付いてでないと立ち入らないので、何処が何処やら解りません。 「これは道路か、赤道か、はたまた建物と建物の間を歩いているのか、、、。」

都市計画道路というと、どんな場合にも道路として機能しなくてはならない訳で、幅が4m以上であるとか、 まあ、あまり「面白」くはないものになってしまいます。 しかしこれも工夫次第で、様々な路地が作れるのではないでしょうか。 原宿で有名なのは「モーツァルトの小路」です。竹下通りと表参道の間の、 元々は浜松市の中心市街にも多く見られる背割り道路、いわゆる「肥汲み道路」です。 これを商店街が協力してでしょう、きれいに整備し、竹下通りが中高生の修学旅行じみて客単価が落ちたのに対し、 人目が少なく、二人連れが肩を寄せあわなければ歩けない、という点を利用した売り出しに成功しています。

アジアの都市には結構「路地」というものがあり、 ソウルなどでも鐘路裏など、ビルの並ぶ表通りから「一歩中に入ると、、、」というのが可能ですが、 都市の全てが計画的に作られていると、そうは行きません。 例えばマンハッタンの道は全て「表通り」であり、原宿の様に「裏表」という構造になっていません。 するとソーホー、ハーレムのように地区全体が「裏町」と化してしまい、 ある場所ではトップファッションの並ぶブロ−ドウェイを歩き続けると、 犬のしょんべんが道端に染み付いている、という場所に辿り着きます。 100年以上も前から高層建築が発展し、同時に我が国の様な、 温帯モンス−ン気候では考えられなかった地下室の発達した国では、 「ペントハウス」や「アンダーグラウンド」が文化となりましたが、 「抜けられます」という点では「路地」はそれらに負けない文化ではないでしょうか。

浜松市でも千歳界隈には幅が4m以下であってもきれいになり、道端にともし火が据えられている路地があります。 こうしたところが中心市街の魅力の一つだな、と納得できるものです。

同じ様な道幅の路地が有楽街と肴町通りとの間、連雀裏始めあちこちにも背割り道路があります。 静銀浜松支店の裏の路地は前後が4mの「道路」に昇格してしまって「きれい」になったのに対し、 ここだけが昔風の6尺程の幅で残っています。 北角には怪し気な雰囲気で若者を引き付けそうな「支那蕎屋」が出来ましたが、奥の方は昭和30年代、 私の親爺などが闊歩していた頃に較べると少し元気がない様で心配です。 これらの路地も整備の仕方次第で中心市街地の魅力を増し、表通りの活気を供給する仕組となるのではないでしょうか。

(注) 「都市の個性とは何か」/田村明  岩波書店・旅とトポスの精神史/1984.11.19
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