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古山惠一郎
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2012.8.22 加筆

No.14

□「土地は資産」から「土地はお荷物」へ
□「和風の市街地」という敷地環境
□伝統的な集落環境と、新たに市街地の対比
□冬の縁側で陽だまりに浸って猫の蚤を取るには






図1 明治4年以来、日本国を大混乱に陥れた「地券」


図2 明治16年の東京の住宅地


図3 平成8年の首都圏の住宅地

「市街化調整区域検討市民ミーティング」というのに行ってきました。規制緩和の流れにそって今後の市街化調整区域内の開発規制をどうしようか、と言うものです。1972年当時、「今後10年程度で市街地となるべき」ではない、と考えられたのが調整区域ですが、30年を経て、制度が実情に合わなくなってきた、と言うこともあるでしょう、しかし規制緩和の先には「土地は資産」の20世紀から「土地はお荷物」の21世紀という、大きなうねりが感じられました。ここでは住宅デザインから「市街地とは何か」を考えてみたいと思います。

室町時代以来、「土地永代売買禁止令」のもとにあった我が国で、近代的な土地所有権が確立したのが明治4年からの地租改正でした。それまで凶作の折には減免もある、という年貢ベースだった地租を、土地所有権を認めて地価を設定し、それを元に金納にする、というのは相当な荒療治だったと見え、浜松でも

明治22年までは土地の所有を恐れて一反歩につき銭十銭以上、酒一升をおまけにつけねば貰い手がなかった。

合田文杉 「浜松風土記」昭和28年

などと残されています。当時の典型的な住宅地を知る手がかりとなるものに、明治16年測量の「参謀本部陸軍部測量局五千分一東京圖測量原圖」というのがあり、図-2はそれから東京府武蔵國四谷區四谷傳馬町近傍をトレースしたものです。現在の四谷三丁目付近にあたり、図中央東西が甲州街道です。街道沿いには商家の店鋪併用住宅が並んでいますが、裏側には住宅地が拡がっており、戸当り敷地面積150-200坪の上に床面積20坪程度の住宅が建っています。江戸時代唯一の「勤め人」である旗本の住まいでしょう。四谷見附から麹町を経て経て半蔵門まで徒歩20分程、役所が城内にあればオフィスまで30-40分というところです。

図-3は同じ様な場所にある勤め先に通う、現代人が住んでいそうなところ、というわけです。東京駅から40km程、西武線に乗り換えて45分程の駅から、歩いて10分程ですから、オフィスから1時間程、ということになるでしょうか。「戸建て住宅に住みたい」というと図中央の分譲地の面積が戸当り55坪程ですが、現代人の要求を全て容れようと思えば、床面積は60坪を超えてしまうこともあります。

「和風住宅」には根強い人気があります。しかしこの「和風」だと考えられる住宅デザインの成り立つ背景が、ここ100年程の「市街化」によって、簡単にいえば敷地面積は1/3、床面積は3倍という様にかなり変質しているのではないかということが地図から伺えます。100年前には考えられなかったような建材、工法、設備器機などのおかげでずいぶん便利になった住宅ではありますが、「和風住宅」の豊かさは建物だけによるのでなく、敷地環境が「和風の市街地」として優れたものであることが必要でしょう。そう考えるとこの100年で失った豊かさはないのか、振り返るのも良いことだと思います。

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図4
 明治16年と平成8年の典型的な住宅平面


試みに図1と図2から適当な敷地を拾って、それぞれに図-4の様な建物を乗せてみました。左が明治16年の四谷3丁目付近、右が平成8年の首都近郊住宅地にありそうな住宅です。


図5 明治16年12月20日午後2時の日影


図6 平成8年12月20日午後2時の日影

これを図2と図3にありそうな敷地に乗せてみます。明治16年の敷地は180坪、平成8年の敷地は60坪です。12月20日午後1時のの太陽を当ると、それぞれ図5、図6となります。

明治16年12月20日午後1時には座敷きの大半には冬の低い太陽が差し込んでいます。座敷きと縁側の間の障子を閉めると直射日光と障子に反射した光が陽だまりを作ります。御隠居のじいさまがおれば、冬の陽が西に傾くまで、ここで猫の蚤を取って過ごすのであります。

ところが平成8年12月20日には、図6の建物では数分前に南の家の影から部屋に差し込みはじめた太陽の光が、数分後にはもう隠れてしまいます。


明治16年12月20日の日の出から日の入までを
アニメーションで見る。
http://www.facebook.com/video/video.php?v=433011643411480



平成8年12月20日の日の出から日の入までを
アニメーションで見る。
https://www.facebook.com/video/video.php?v=433262690053042



明治16年8月20日の日の出から日の入までを
アニメーションで見る。
https://www.facebook.com/video/video.php?v=433305420048769



平成8年8月20日の日の出から日の入までを
アニメーションで見る。
https://www.facebook.com/video/video.php?v=433348226711155


明治と平成の冬と夏の様子をアニメーションで見てみましょう。夏の太陽は上から指すので、冬には日陰になっていたものが、逆に夏には壁に当たっています。これに加えて隣家の空調屋外機からの放熱・吸熱があるので、夏になって窓を開けても涼風は入って来ません。莫大な熱量が建物に取り込まれるので、屋根に「ソーラーパネル」を敷き詰めても、冷房するにはとても追いつきません。

図5に見るような敷地環境の元で、長い時間をかけて作り上げられて来た我が国の住文化は、20世紀の市街化によってその重要な部分が葬り去られてしまった、といっても良いでしょう。

お気付きかも知れませんが、図4・5を見ると、浜松市近郊の伝統的な集落環境と、新たに市街地として開発されている部分との対比にも似ています。

座敷きの前にはささやかな庭をしつらえ、その向こうには家庭菜園が有り、自家用の野菜を自給する、という暮らしは江戸時代の侍屋敷での暮らしでした。「和風住宅」のデザインも、そうしたライフスタイルを前提にしたものであったわけです。

浜松市の近郊でも特に農業地帯では産業上の必要性から長く同じような環境が守られて来ました。ところがバブル期に至り、「和風住宅」を成り立たせるような敷地環境が急激に失われて来たのは残念なことです。このままでは「和風住宅デザイン」自体が痩せ細ってゆくのではないでしょうか。

今後、市街化調整区域内の開発について、規制に頼っていた部分を開発側の力量にゆだねる部分が拡がるような話も有りました。これまで長い間、高密度化が開発の前提とされて来たわけですが、少し立ち止まり、これまでの流れをもう一度見直して、20世紀に破壊されてしまった和風住宅の敷地環境という観点から、21世紀の市街地を考えてみるのも良いことではないでしょうか。

高齢化社会が豊かになるというのは、例えば冬の縁側で陽だまりに浸って猫の蚤を取るの権利が保証されている、というようなことではないかと思うのでアリマス。

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