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社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
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No.10

□歴史の歯車が廻る時
□より速く、より広く、より薄く
□建築のアイコン化
□ポストポストモダニズム


9月11日に米国で起きた同時多発テロ事件の被災者の方々にお見舞いを申し上げますと同時に、犠牲者の方々の御冥福をお祈りいたします。






フォスター・アソシエイツによる「おいも」。超高層の運命や如何に?(Architecture誌2001年9月号より)


「私はポストモダニストではないし、これまでポストモダニストであったこともない。」とヴェントゥーリ先生は苦虫を噛み潰したようなほほえみを浮かべています。(Architecture誌5月号の表紙)


 120年程前、突然「近代」がやって来た頃の日本には、がむしゃらに前へと進む男達のそばに「近代って何だろう、良く解らない」と立ちすくむ女がいました。歴史の歯車がひとまわりして、「近代の次には何が来る」のでしょうか。
小林清親 「海運橋第一国立銀行」明治9年

同じ場所には現在東京証券取引所が立っています。アルカイダの標的になっているかも、




歴史の歯車が廻る時、大きな音がすることがあるようです。

9月11日がそうでした。夜中にテレビのスウィッチを入れて台所に立った妻は、「はあ、シュワルツェネッガーか何かのドラマをやっているな。」と思ったのだそうです。テレビドラマでビルが燃えている場面、というのは5秒か10秒で次のシーンに変わるはずなのですが、何分経っても同じ映像が流れています。洗い物を中断してテレビをちゃんと見てみると、実況中継であるらしい。そこで「戦争が始まるよ。」と私を呼んだのであります。

それにしても世界中の多くの人が私のように呼ばれてテレビの前に座ったころを見計らい、2機目の旅客機が突っ込む、という完璧な演出ではありました。

テレビの前に座って2機目の旅客機が突っ込むところを見てしばらくすると、センターコアとヴィーレンデールトラスからなるシェル構造、とかいう事務所ビルにおける近代建築技術の一つの到達点であるワールド・トレード・センターはまるで砂浜に作られた砂の城のように上から崩れ始め、姿を消してしまいました。先年、ソウルの三豊デパートが崩壊した時には、せいぜい7-8階建てだったので、もっと近くからの映像で、コンクリートやら何やらが砕け散る、という物理的実感があったのですが、今回はただ超高層ビルが煙りに包まれて魔法のように消えてしまう、というものでした。

建築設計に携わるものとしての思いは、110階建ての建物が30秒足らずで消えてしまう、という事態が近代技術の追い求めてきたことなのか、ということでした。

「より速く、より広く、より薄く」といった、明治以降の日本が追い掛けてきた近代技術の流れが、次の時代に差し掛かろうとしていることをニュ−ヨ−クからの画面は語りかけていました。

1931年に建てられたエンパイア・ステートビルディングであれば1階当り0.3秒で「消えてしまう」ということも無かったのでは、と思われてなりません。中にいる人間の命を守る、という建物としての最低の役割を果たすよりも、「より速く、より広く、より薄く」という「時代の要求」を優先させることで、近代建築はヴァーチャルリアリティーの世界に摺り寄ってきた様にも見えます。

「より速く、より広く、より薄く」という近代建築の流れの一つの方向である超高層建築の足取りは、世界中でしばし留まらざるを得ないでしょう。ロンドンでは「心臓にぐさりと刺さった短刀」と評されるレンツォ・ピアノのブリッジ・タワーに続いてノーマン・フォスターが「おいも」のような超高層を発表していますが、これもどうなるか解りません。

Architecture誌の5月号では「ポストポストモダニズム」が特集されていました。70年代以降「ポストモダニズムの教祖」と目されていたロバート・ヴェントゥーリが「私は今も、今までもポストモダニストであったことはない。」と、何だか端切れの悪い弁明のような文を寄せています。

「近代建築は工業化以前の建築が持っていたイコノロジーを破壊してしまった。そして工業化建築それ自体がイコンとして君臨している。電子化、多文化、情報化の時代に相応しい建築のイコノロジーの再構築をしよう。」というようなことでした。

「イコノロジーの再構築」というと何だか難しいのですが、ヨースルニ「建築のアイコン化」というと分りやすい。「より速く、より広く、より薄く」という時代の要請は「形態は機能に従う」という、近代建築のお題目からはずいぶんと懸け離れたところまで建築をつれてきたものです。

例えば住宅にしても、古くはモノポリーのようなボードゲーム、近くはテレビゲームと同じ様に、住宅というアイコンを手に入れることが、その住宅の表象するものを手に入れることだと錯覚されています。NHKが放映していた「ちゅらさん」に見る「住宅のアイコン化」もそうでした。すでに「新築戸建」の核家族用住宅ではなく、「心あたたまる下宿館」「伝統的な快適さを持った地域型住宅」なんてのが今の日本人の憧れなのですね。「地域型住宅」でなければならないのは、ハウスメーカーの商品がすでに実体を失って無意味なアイコンと化していることに誰もが気付いているのでしょう。

「建築のアイコン化」なら「都市のテレビゲーム化」となるわけで、オサマ・ビン・ラディン氏はかなりのヒットポイントを稼いだわけです。ワールド・トレード・センターも出勤途中にニュースを見て、WTCへ行かずにニュージャージーに保険会社が用意した貸事務所に向かい、支障なく業務を続けた、なんて話をテレビで見ると、正にアイコンとして建設され、アイコンとして破壊された、ということがわかります。じゃあ、建築デザインはどうなるか、というと「ポストポストモダニズム」が建築に何をもたらすか、実はまだ解らないことが多すぎる様な気がします。
(2001.12.15)

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