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社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
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No.6

□タクシ−無用のルイ・ヴィトン
□幌馬車を率いるのが家長
□米国の分譲地では道路幅は12m
□浜松の路地から産まれたアジアカー






パリ、オペラ座


米国の高速5号線-街に近付くと片側6車線になる。


田舎町では店の前に駐車


住宅街でも家の前に駐車


新しい分譲地。何が違うか良く考えると道路の幅が違う。


ニュ−ヨ−ク近郊のアウトレット。広いので場内移動も車で。


我が国では祭りというのも2間幅位の道だと、それらしいにぎわいが出るような気がする(森町にて)。

坪車

パリのオペラ座、まあオペラ座でなくとも、ちゃんとした芝居小屋で芝居を見て、 ルイ・ヴィトンのバッグなど下げてタクシーでホテルに帰る。あなたが見るからに日本人観光客、 という顔かたちをしていれば、まあ許される。

しかしあなたが金髪の白人であると、廻りの人々は怪訝な顔であなたの様子を盗み見るかもしれない。 ルイ・ヴィトン、まあルイ・ヴィトンでなくとも馬具屋のバッグを下げた人が芝居からタクシーで帰る、というのは有りえないからだ。

自宅に馬、といっても農耕用の馬でなく、乗用の馬を飼う人々が彼の地にはまだ居る訳で、 そうした人々が芝居から帰る時刻には、運転手付きの自動車が迎えに来ているのである。 ルイ・ヴィトンのバッグは馬と馬小屋だけでなく、馬の世話と自家用車の運転手を兼ねる馬丁までがワンセットなのだ。

ヨーロッパと違い、米国は西部劇の国なので、車に対する感覚もかなり違う。 アルバート・ゴア前副大統領の父君、アルバート・ゴア・シニア (息子はアルバート・ゴア三世というから、鈴与の鈴木与平さんみたいな名前だ) の追悼演説で前副大統領は「帰郷の度に父の運転で旧国道70号線を辿ったことを覚えています。」と言っている。

米国の上院議員をひと丸めにしてしまうと(随分乱暴だが)大規模農場とガソリンスタンド、 スーパーマーケット、その他2・3の製造業を経営する地方名士となる。 こうした人々は西部劇の時代に家長が先頭に立って幌馬車の列を導いたように、運転は自分でするのだ。 家財道具の一切をトレーラーに積んで別の街に行き、仕事を見つけて暮らす。という幌馬車時代さながらのライフスタイルは現在でも米国では普通のものである。

米国の道路もまた西部劇の時代の伝統を受け継いでいる。道路というのは通行のためだけでなく、 駐車のための場所でもあり、例えば幅9mの「田舎道」は両側3.3mづつが駐車スペースで、中央の2.4mが通行スペースである。

ちょっとした田舎街でも大抵はメインストリートの商店街は路上駐車ですませている。 西部劇に見る馬やら馬車やらで店先に乗り付けて、ポーチの柱に手綱を縛る、というのが今でも米国の「道路」なるものの原形なのだ。 裏通りは中央のみ舗装、両側は砂利、というところも多い。 新しい建売分譲地では路上駐車分を含めた12m位の敷地内通路にアスファルトをベタ張してしまうので、だだっ広い感じがする。

幌馬車はやがて自動車に代わり、時速70マイルで快適に何日でも走れる道が整備されたのが戦後、アル・ゴア・シニアが連邦道路局長の時。 人々は都心の長屋を出て、郊外の広い芝生に囲まれた大きな家に住むようになったのだが、 不動産屋にしてみれば、建て売り住宅が売れるのはインターチェンジから5分以内に限られる。 だからもっと高速道路を作ってちょうだい、となるが、その高速道路は断じて無料なので、米国の殆どの自治体が道路予算から倒産寸前だとか。

米国でいう幌馬車の時代、我が国の道路を通行するものは殆どが徒歩であり、馬を繋げなければ商売上がったり、ということもなかった。 天下の東海道も幅四間かそこらであり、馬に乗ったものが通る、なんてのは「一大事」の部類であったろう。大名行列の直前横断は切り捨てご免、 という当時の「道路交通法」を知らない毛唐が、薩摩藩士に斬り殺された「生麦事件」なんてのは、 こうした「道路とは何ぞや」という認識の違いから来ているのではないだろうか。

米国で日本車が売れ出したのはオイルショックの頃、ということだが、単に燃費がよい、というだけでなく、 幌馬車の伝統を受け継ぐフルサイズの車はいかにも「田舎もの」という感じで、 大都市周辺のトレンディーな人々には受けなくなっていた、ということもあると思う。 サブコンパクトサイズの日本車で郊外の自宅と都心のオフィスを往復し、遠くの街へ行くのは飛行機、というライフスタイルだ。

道路だけでなく、たとえばショッピングモールでフルサイズ用の、幅が3m位はある駐車ロットに出し入れするにも、確かにこのほうが楽である。 米国で2週間車に乗ってくると、帰って来て日本の道路を走るのが嫌になってしまう。 現在の日本で乗用車として普通に考えられているものは、実は日本の道路で運転するよりも米国の道路で運転する方が遥かに楽なのだ。 まあ、米国その他に自動車を輸出して食って来たことを思えば、輸出車が原形で、それを無理に我が国の道路で乗り回すというのも仕方ない、と言えるだろう。

ではそうした日本の道路に合った車はどんなものだろうというと、その昔上田篤さんが「坪車」というのを提唱していた。 タテ・ヨコ.タカサ6尺づつの車が京都の街などには似合う。というものである。現在の日本でこれに近いものといえば、スズキワゴンRの類いであろう。 長い間「ヤマハが新しいデザインのバイクを出すと、三月もしないうちにスズキが似たようなのを出す。」というB級ブランドのスズキであったが、 ミツビシ・ホンダからトヨタ・ベンツにいたるまで、ワゴンRの真似をしてコンパクトカーを売り出しているのは痛快な感じがする。 自家用車が、自家用馬に乗る人々のものから、普通の人の足になりつつあるということで、 世界の自動車産業はアジアを狙っている、というわけだ。

そうしたアジアカーを「遠州濱松廣い様で狭い。横に俥が二丁立たぬ。」と唄われた浜松の路地が育てたことを思うと、狭い路地も捨てたものではない。

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