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社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
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No.6

□イングランド全土がゴルフ場
□人間が苦労しなくても土地さえあれば豊かになれる。
□馬車の時代に整備が終わった道路網
□交通予算は道路50%、歩行者・自転車・公共交通50%






イングランド全土がゴルフ場地形である。


羊が草を食えば、苦労しなくても人間が豊かになれる。


延々と石垣で囲い込まれた英国の大地。


石垣の間を突っ走る通勤車。


馬車の時代の門構えを持つ商店。高級ホテルの古いのにも同じ様な門構えがある。


市日に走る田舎のバス。


「道路予算」といっても整備は新設道路が主なので、高速道路も無料でやっていける。


都市部の商業地域、歴史地域では車乗り入れ禁止のゾ−ン規制が徹底して来ている。

英国の土地と道

ショップモビリティの実例調査、ということで11月に英国へ行って来た。
ボランティアとか、チャリティ−とかに関して、 背景の違いを押さえておかないと頓珍漢なことになるのでは、というのが私の感想。 無給の御奉公であったが、都市問題・交通問題など、興味のある点について見聞を広めることが出来た。

ここでは土地と道について、彼我の違いを少し見てみよう。 スコットランドには1300mを越す「高山」があるが、 イングランドにいたっては978mというシコフェル山が最高峰であるらしい。
ロンドン近郊のグリーンベルトから、北イングランドに至るまで、 イングランド全土にゴルフ場の様な地形が拡がっている。 そこへ羊や牛などを放しておくと、これらが草をきれいに食うので、人間が苦労しなくても、 ゴルフ場の様な景色が出来上がるというわけ。
家畜を食わせられる土地さえあれば、 苦労せずとも富が手に入る、というのが英国の資本主義の始まりらしいことが良く解る。 それまで入り会いだった牧草地を、個人所有とする囲い込が始まったのは15世紀とのこと。 南部では生垣が多かったらしく、牧草地の間に生垣に混ぜたらしい、樫等の並木が見られるが、 北イングランドでは古びた石垣が延々と大地を区切って続いている。

馬だけでなく、牛・豚でも結構表情があって 「こいつは一体何を考えているんだろう。」と思うのだが、 羊にはそこまでの表情が無い。例年に較べて雨が多いということで、 水浸しになった牧草地で黙々と草を食っている羊を見ると、ただ肉になるために生きているのでは、 という感じがする。

「わたしの毛が伸びたら刈り取って服にして下さい。肉がついて太ったら殺して食べて下さい。」

イングランド全土を石垣で区切って「人間が苦労しなくても土地さえあれば豊かになれる。」 という手に味を占めた人々は、隣国を併合しただけでは満足しなくなり、 やがて世界中に「植民地」なるものを作り上げた。
もともとそこに住んでいた黒い人・赤い人・黄色い人は、人間では無いということにして、 白い人だけが人間である、ということにすれば、 「人間が苦労しなくても土地さえあれば豊かになれる。」という理想が実現できたのだ。

牧畜に較べて土地の生産性が数百倍、 という水田稲作農業をやっていた東アジアの民にとって、土地は水と日光同様、 タダでそこにあるものであり、額に汗して年貢を納めたものが土地の使用権を持つ、 というのが土地利用の原形であった。
土地さえあればウールの服を着て、 羊の肉を食える、という西欧の人々の発想とは、大いに異なっていてもおかしくは無い。 それが明治の御一新で近代技術を取り入れるに際し、 西欧式の土地制度が近代産業と不可分なものだと考えてしまったところに、 日本の土地利用の悲劇が始まったのではなかろうか。

などと道端で羊の顔を見ながらぼーっとしていると、 通勤車らしい小型車(日産マ−チが圧倒的に多く、プジョーと張り合っている。) がものすごいスピードで通り過ぎる。 田舎道の幅はどこでもそれほど広いわけでは無いのだが、 片側2.4mくらいまでセンタ−ラインが入れてあり、その両側にはずっと石垣が続いているのだから相当に恐い。 片側2.4mというのはおそらく2馬力か4馬力の車が一般的だった頃に出来たものだろうと思われる。 我が国で馬車の時代というのは、明治の初めから大正の中ごろまで、 50年足らずで終わってしまったのだが、英国などでは数百年に渡って続いていたはずである。 馬車の時代の門構えを残したホテル・商店などもあちこちで見かけた。

ブリストル近くの歴史的街並を売り物にする山間観光地では、面白いバスの時刻表を見た。 近くの街へは毎日何本か便があるのだが、少し離れた「バースへは水曜日」 「コルシャムへは木曜日と土曜日」にいずれも一往復とあった。
観光客向けのウィークエンドサービスでもなし、何だろうと思っていたら、 馬車の時代、乗り合い馬車の運行は「三のつく日は三ヶ日へ。」 といった具合に田舎町の市日に合わせて走っていた、ということで、 それが今だにバスの運行に残されているものらしい。

馬車の時代に長い時間を掛けて整備された道には、日産マ−チの様な小型車が良く似合う。 英国からF1ドライバーが出るのにはそういった背景があるのだろうし、 小形スポ−ツカーというのも、馬車の時代に作られた道が産み出したものだろう。

浜松市でアスファルト舗装が始まったのが昭和2年とのことだが、 道路の近代化が大規模に始まったのは戦後も昭和30年代に入ってからで、 それまでは東海道も町外れからは砂利道であった。

我々が50年程でやってしまったことを、 英国では数百年前からやって来たわけで、そうして出来た古い道を未だに使い続けている。 我が国では住宅地の裏道りにまで使わなければならない道路予算は、新設の道路などに使うのみなので、 高速道路もタダでやっていけるのだ。 東名高速道路が開通した頃には「英国には近代的高速道路など無い。」と言われていたものが、 既に主要高速道路は片側3車線で、無料となっている。

そうした英国でも、現在進められているのは歩行者を重視する各種の交通政策である。 今後10年間の交通予算は道路半分、歩行者・自転車・公共交通に半分と計画されている。

詳しくは ../urbanism/uk0011/index.htm

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