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社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
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No.12

□違反は違反である
□「路上駐車歓迎」で「にぎわい」の演出
□馬あるいは馬車を前提にした生活道路の伝統
□自家用車を前提とした生活道路の開発



西部の田舎町では「店前路駐」が幌馬車の時代からの伝統である。


愚息が金も無い癖に駐車禁止の切符を貰ってきて、母親に怒られている。文芸大の近くの路上に車を停めたまま遊んでいたらしい。東街区はまだ建物が並んでいないので車の流れも少なく、駐車しようと思えばできるのだが、違反は違反である。私もしばらく前に米国から来た客を迎えに行って、新幹線の改札口から送迎レーンまで戻ってみると高額の「駐車料請求書」がフロントガラスに挟まれていた経験がある。

浜松市の中心市街地のようなところでは無理だろうが、郊外の小都市で「にぎわい」を演出するためには「路上駐車歓迎」というのもあるのではないだろうかと考えたのが上のパースである。図は関東平野の北の方にある人口3万人程の街の中心なのだが、昭和40年代に進出した日本を代表する製造業の工場に寄り添ってきた企業城下町の市街地を活性化したい、というプロポーザル・コンペであった。 私鉄の駅まで出来たのだが、40年近く前と違い、生活の中心が自家用車になってしまった今では電車通勤よりも自家用車通勤が圧倒的に多い。電車から降りて来るのは年寄りと子供ばかりである。巨大企業もこのところ元気が無い。少し離れた国道バイパス沿いに新しい店が並び、駅の廻りに並ぶかっての中心市街地は危機的な状況にある。とまあ浜松周辺でもありそうな話。 上の図の中央は企業進出の頃に整備された県道で、両側には桜の木等がうえられてきれいな並木道となっており、その奥には関東平野の典型的な雑木林が拡がっている。地元ではこれを「ブールヴァール」とも呼んでいる。雑木林は企業の拡張用地としてリザーブされたまま、今に至り、不良資産と化す前に手放したい、というのが筋書きであった。

土地はある、周辺に拡散してしまった「にぎわい」をここに引き戻すにはいっそのこと自家用車を中心とする現在の都市近郊農村地帯のライフスタイルに合った本格的なブールヴァールにしてしまったらどうか、というのが提案の骨子である。県道の両側に駐車帯を整備する、図には書き込んで無いが県道自体でも路上駐車を可能にする。県道両側の並木と、奥の雑木林に駐車帯にそった新たな埴歳で補って幅50m程のブールヴァールとする。

こうやって絵にしてみると木陰に駐車された自家用車が、主人の帰りを待つ馬の群れのようにも見えてくる。欧米におけるブールヴァールそのものが馬を主な交通手段としていた時代に形成されたものだ。パリの凱旋門から西方ドフィーヌ広場に達するブールバールは、交通施設というよりは貴族が乗馬を楽しむ「場事公園」の様なものだった。北米西部の田舎町では「メインストリート」と称する道路は幅が50m近くある事が多い。幌馬車の時代に開発された街では店の前に客が馬車を繋ぐ事ができなければならず、馬車は簡単にバック等出来ないので自然と道幅は50m近くになってしまうのだ。 いずれも馬あるいは馬車を前提にした生活道路であり、それが自家用車の時代である現在、豊かな暮らしを演出する背景となっている。ディッケンズ等の小説に見る18世紀のヨーロッパはすでに「乗り合い馬車の時代」であり、それ以来200年以上に渡って馬あるいは馬車を交通手段の中心にした道路整備が行われてきたのだ。

これと対照的に我が国では乗り合い馬車が拡がるのは明治も中頃になってからで、大正の中ごろにバスが登場するまでの2ー30年が馬車の時代だった。その後も鉄道という近代的な交通手段の急速な発展の陰に押されて道路は長く昔の姿を止めていた。東海道22宿に見るように伝統的な沿道景観が「残された」反面、近年になって自家用車の普及とともにその歴史的な沿道景観も急速に失われようとしている。

我が国の道路が本格的な近代化を迎えるのは昭和も30年代に入ってからであり、それも産業近代化に引きずられる形で、産業の要請に沿って、とい性格が強く、ヨーロッパにおけるブールヴァール、北米におけるメインストリートの様に「自家用車を前提とした生活道路の開発」など考えている余裕が無かった。というのが実体だろう。その後も現在に至るまで続けられている「路上駐車をする無法者との戦い」は、実はウチのムスコが馬鹿なだけではなく、「自家用車を前提とした生活道路の開発」がまだまだこれからの課題であるから、とも言えるのでは無いだろうか。 近年流行りの「郊外型大規模店鋪」にしても、「自家用車を前提とした生活道路の開発」が進めば既存の商業集積にとっても充分対抗出来る。そればかりか先年発表されたシアトル近郊の広域都市圏計画では「近郊都市機能の充実」こそが中心都市を交通渋滞から救う手立てだとして見直されており、マルチモーダルシステムの柱の一つだと考えられている。1980年代以降のキーワードとなっている北米の「ニューアーバニズム」もここでは「自家用車を前提とした生活道路の開発」という点から馬あるいは馬車を前提にした伝統的なライフスタイルの見直し、とも言えるだろう。

五街道の筆頭である東海道も殆どの場所では幅4間止まりで住んだのは、馬あるいは馬車を前提にしたものでは無かったからだとも言えるわけで、そこへ幌馬車の子孫である自家用車が押し寄せれば乱闘騒ぎになるのも仕方ない事と言えよう。「車に乗って一人前」みたいな最近の若者が生活の豊かさを実感するには自家用車を前提とした生活道路環境の整備がまだ必要だと思われる。





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