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社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
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No.8

□地主が800人
□鉄道開発が生み出したペニーレーン
□路上駐車が当たり前
□由緒ある邸宅に住むのがジェントルマン





図1
ピンクフロイド「アニマルズ」のジャケット写真一帯はロジャース卿の設計で再開発を計画中とか。
Beatlesもあり枡。



図2
ビクトリア時代のお屋敷町。郊外に住むには自家用馬車が必要で、 馬車というのは簡単にUターンが出来ないので車回しがいる、 と結構モノイリだ。 1872年の地図 S=1/2,500(75dpi)



図3
コーシェルトンビーチ駅周辺 S=1/25,000(75dpi)



図4
同じく S=1/2,500(75dpi)



図5
えんえんと続く路上駐車。



図6
ロンドンの田園調布といったところでしょうか。



図7
二戸一邸宅、日本程戸建てにこだわらない?



図8
リハビリ住宅。築110年、借地200坪床面積50坪で2000-300万円とのこと。うーん、安いか、高いか。


英国の住宅地

我が国の住宅が長く「木と紙」で作られて来たのに対し、 英国ではハーフティンバーのような木造よりも、 古くは北イングランドのスレート平積みのような石、 近くはレンガといった組石造で作られて来た住宅が多い、 という素材の違いがあるが、 それ以上に町並み景観の違いを生み出している背景には土地所有制度の違いがあろう。
土地の私有地への囲い込みが始まったのが15世紀だといわれるが、 500年経った現在、英国の土地所有者は800人余りだとのこと。 王室始め○○公爵家に××伯爵家といった貴族階級である。 地主が800人であれば口裏を合わせるのも簡単で、 「土地国有化」等しなくても国会で土地政策をそのようにすれば良いのだ。 英国の上院は「貴族院」と称するだけあってなかなかの曲者である。 先日も町人主体の下院から持ち込まれた「狐狩り禁止法案」に難くせを付けて葬ってしまった。
明治維新の主役が大隈君と伊藤君みたいな、 大土地所有とは関係ない足軽階級の若者であったために、 相続を3代重ねれば法人資産以外の私有地は召し上げ、 となった我が国とは大違いだ。貴族は宅地開発等という下世話なことをしないので、 開発業者が借地権契約を結んで土地開発をするのだが、これが香港の租借と同様、 99年間など超長期の契約なのだそうだ。 日本でも最近増えて来た定期借地権契約のような仕組みになっているのだろう。

ロンドン南郊外のサットン市で住宅街を歩いてみた。議事堂から南へ15km、 ビクトリア駅から列車に乗り、 ピンクフロイドのアルバム「アニマルズ」のジャケットで有名な 発電所の脇を通って、30分程でコーシェルトンビーチ駅に着く。
110年前というから、丁度東海道鉄道と同じころの開通である。 18世紀に馬車で市中に通う旦那衆が、 テムズ南岸のクラパムパーク(左図2)等に邸宅を建てはじめたものが、 鉄道の発達と共に急速にスプロールした住宅地である。 もう少し南に下がると有名なロンドンのグリーンベルトとなるのだが、 ロンドンの中心部からこの辺りまで、 多少のオープンスペースを挟みながら鉄道の駅を中心にして, 図3に見るような住宅地が延々と続いている。
ウィリアム・コベットが「おできの親玉」と呼んだ通りで、 これを今以上に増殖させてはならない、 という第二次大戦後の強力なグリーンベルト政策を生み出した都市の姿だろう。 ヒースロー着陸直前に天気が良ければ見渡す限りに「ペニーレーン」の拡がっているのが見えるはずだ。

駅前商店街のようなものが無いのは近郊住宅地の駅であり、 用途地域が決められていたからか、 あるにはあった商店も郊外型大型店にやられてしまったからか、解らない。
「コーシェルトンパークロード」へ入ってみる。 馬車から鉄道へ、という時代を象徴するように、前庭はバッサリ切り取られてしまっており、 これがその後の自家用車の時代には再び問題を引き起こしている。 駅を出ると図5に御覧の有り様である。 不思議なことに駐車場も充分無いような英国だが、人口当たりの自家用車保有台数は日本より多いのだ。
もっとも道路網は住宅地だけで問題になっているわけでは無い。 馬車の時代に道路整備が進んでしまった英国では、 日本のように自家用車の時代に合わせて道路整備をする、ということがほとんど行われず、 昔の道を修繕して使うのが主流である。 ロンドンの通勤圏がグリーンベルトの彼方まで拡がってしまった現在、 コーシェルトンを含むサットン市のような近郊自治体は、 通過交通よりも地域内交通重視の交通管理政策を取ることが多く、 「通勤車への嫌がらせだ。」という攻防が続いているらしい。
敷地の間口は18世紀には30m前後だったものが、 ここでは10mちょっとと、佐鳴湖西岸と同じようなものになっており、 図2では切れているが、奥行きも半分近くに小さくなっている。 戸当たり敷地面積はクラパムパーク周辺の1,000坪に対し、200坪前後、といったところであろうか。

コーシェルトンパークロードで多く見られたものにデュプレックス、 日本式に言えば二戸一があった。 日本で二戸一と言えば「裏長家」というイメージがあるが、 図4のように18世紀の邸宅の面影を再現するためには、 二戸で一棟の建て方が似つかわしい、というものだ。 もともとが借地である上、ビクトリア時代は大英帝国が世界に拡がった時代である。 当時の裕福な家庭では「亭主はインドへ出かけたきり、」 という情景がありそうな話として、ディケンズなどにも 「邸宅の間貸し」の背景に描かれており、 日本における程戸建てへの執着が強く無いのだろう。 図4左上にはタウンハウスも混じっている。

家を新築するのが男の面目みたいな我が国に対して、 由緒ある邸宅に住むのがジェントルマンというお国柄、 というより取り壊して建直そうにも近隣の同意が得られない、 ということであろうか、コーシェルトンパークロードでも新しい家は見当たらない。 110年前の開発当時に建てられた家を補修して住んでいる家が殆どのようだ。
足場のかかった家があるので見ると、躯体は煉瓦積みだった。 屋根、外壁、サッシなどを取り替えている。 ガレージドアの取り替えと一緒に前面にはレンガタイルを貼っている。 この調子だと躯体以外の内装も全面的に新しくするのだろう。
前に車を停めていたのは工務店の社長だったので、話を聞いてみた。 この家のような古屋を買い取って補修して売り出す仕事をしているとのこと。 この辺りでは2ー3000万円が相場、ということだったが、借地権料、工事費など細かな話が聞けなかったのが残念。

英国の写真を差し上げます。cd入り、「都市白書」「交通白書」概要版粗訳のオマケ付き。実費ビール券1枚。 御連絡ください。

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