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![]() 青野川河口から上流を望む。
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4-5-3. 手石湊1.所在下田から136号線を南下、南伊豆町の日野で石廊崎方面に青野川沿いに下ると、 青野川の河口が手石港である。東側の入江が白砂青松の弓ヶ浜で、夏は海水浴客で南伊豆一賑わう。 この付近は南伊豆国民休暇村に指定されていて、保養所が多い。 2.地形青野川は蛇石火山に源を発し、南東に流れて、上賀茂で一条川、下賀茂で二条川と、 さらに日野では青市川と合流して、手石で弓ヶ浜に注ぐ南伊豆一の河川である。 手石港は青野川の河口港で、河口の正面には弥陀窟の弁財天岬がせり出し、 東側は弓 状にカーブした弓ヶ浜のきれいな砂浜が続く。 弓ヶ浜の背後は青野川の沖積平野で集落が放射状に分布している。 昔は青野川の上流まで船が通い、現在の日野付近に昔の鯉名湊があったといわれている。 弥陀山トンネルを越えると西の入江が小稲港である。 3.沿革青野川の上流にあったといわれる鯉名湊は伊豆三大湊の一つといわれ、 頼朝が西国で 平氏と戦う源氏勢に、兵糧米を軍船に積んで鯉名湊から出航させた記録がある。 以後、 天然の良港として利用されてきた。 江戸時代になり、東西を結ぶ海上交通が発達し、 下田に海の関所ともいうべき船改番所が置かれると、下田湊が栄えるようになり、 手石湊 は駿河湾の妻良・子浦と下田間の中継港として、 また、年貢米や伊豆炭等を出荷する川舟の基地としての機能を持つようになった
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