title

目次 はじめに 監修の言葉 1.海の東海道と静岡県 2.千石船 3.江戸時代の港湾施設 4.伊豆の湊 5.駿河の湊 6.遠江の湊 調査を終えて
6-1.川崎 6-2.相良 6-3.御前崎 6-4.福田 6-5.掛塚 6-6.今切 6-2-1.はじめに 2.相良湊の概要 3.まちなみの現況と伝承 4.まちなみについての課題 5.次年度の課題 6.資料




鎌倉河岸付近の道は意次公の都市計画よりも古いものである。緩やかなカーブが優しい表情を造りだしている。

6-2-4.まちなみについての課題

「町のかお」とは何かを考えてみた。城下町、海、湊、凧、技能、工芸と言ったものが浮かんでくる。 海の東海道を考えたとき、景色という面から言えば地頭方が昭和30年に合併して相良となったのであるが、 地頭方から見た相良の景観が素晴らしい思う。萩間からは石灰が取れ、年貢として収めた記録もある。瓦屋根も印象的であった。

常々「私のところの庭には大きな池があり、きれいな築山もある。」と言っている。相良の人間にとって、 富士山が見えるのは当たり前。となっているが、もう一度これを見直して、より美しく見えるには、 より美しさを活用するにはどうしたらよいかを考えてもよいのではないか。松並木と富士山がよく合う。

ここには素晴らしいネタがある。若い人のスポーツ、レジャー関係の施設を作るのもよいと思うが、 川沿いの景観をどう飾るか。建物、水質、石垣などを生かして文化的、歴史的なものを作ってみてはどうだろうか。

こうした歴史的資産を子孫に残すために現代の私達に何ができるか、 相良のまちなみと景観について課せられた課題をいくつかの項目にまとめてみた。

4-1.保護

最近松が枯れているが常緑を大事にしたい。せっかく自然に恵まれているところなので、乱開発しないようにしたい。

子供のころとは変わってしまっている。相良橋が変わった。道路のせいで狭くなった。川が浅くなり、今では泳ぐことが出来ない。 魚、鰻、青海苔も川で採ることはなくなってしまった。川がきれいになれば観光にも役立てることが出きるが、 どのような方法できれいにするかを考えなくてはならない。下水を整備して、汚水を川に流さないと言ったことも含め、 川に対する構想を立てるべきである。下水が整備されれば現在残されている外堀の石垣沿いの通路も遊歩道として活用する道が拡がってくる。

相良の景観を活かすには萩間川の浚渫も考える必要があるだろう。護岸等治水計画の立案に際しても景観上、水質保全上の配慮が求められる。




町屋にも古いしっかりした建物が多く残されている。これは醤油屋さん。
4-2.保存

古い建造物を残すことを考えたい。相良城の陣屋であった建物が幼稚園に残されているが、これを残したい。 紋瓦、献木で作られたので、寄付した人の名前などが残っている。建造物だけでなく、 仙台河岸などは相良の城と湊の全てを今に伝えるものとしてどうしても保存されなくてはならない。


4-3.再生

保存から更に一歩進んで、一度は失われたものを再生して行くことも考えられる。川沿いに昔の面影の残る建物でもあれば、と思う。 堤防の改修をする際に「城の石垣のイメージで」などという考えも出てくるが、そうしたことももし本物が残っているのであれば、 そちらの方を手当てするのが先であろう。残っているものがあるとすればこれ以上のものはない。 相良橋にしてもいずれは付け替えなくてはならないが、そうしたおり、あるいは堤防、水門などの整備に際しても、 そうしたことを応用し、残されたものと調和出来ればそれに越したことはない。湊橋の掛け替え計画もあるが、 そうした際、昔の橋をイメージするような高欄などについてもきちんと考えたい。


4-4.利用

御前崎の白羽ではサーフィン大会をやっており、片浜にヨットハーバーを作ってはどうかと言われているようだが、 相良も他所から人が来て海に親しむような工夫をもっとしてもよいのでは。通年型観光というのも現在の相良にとっての課題であり、 まちなみ、歴史財と言ったものをそのために活用すること考えなくてはならない。漁港である現在の港湾施設とは別に、 プレジャーボートを収容するマリーナなど、広い意味での臨海地域の活性化の可能性を検討することも必要である。

  1. 温泉、ガスを観光に利用する。 地熱水型温泉が湧くという調査報告がある。通年型観光にとって貴重な資源となる。 年間70万人ー80万人位の観光客を呼びたい。

  2. 愛鷹岩の船遊山を復活する。 人工島を作って海洋レジャーなどと言っているところもあるようだが、家康公以来の船遊山の方が洗練されてはいないか。 釣掘のような活用法もあるだろう。

  3. 男神、女神の石灰山を活用する。 珊瑚礁による石灰の露頭であり、貴重なものである。かっては庭園が作られたこともあり、 月見が催されたこともある。天明の頃の筆塚も残っているように文人が集ったところである。



建物だけでなく、石垣などにも相良独特の技術が残されている。 伊豆石を加工して柔らかな表情を造り、ぴったりと組み合わせた石垣は見事だ。
4-5.技術

玉石の間知石積みは現在では貴重な技術となっている。 例えばこれを利用して仙台河岸に遊歩道を作り、両側の民家を整備すればここが風の通り道とはならないだろうか。 ただし相良は全体に地盤の悪いところなので、昔の人がどのような工夫をしていたかをきちんと捕えなくてはならない。 増水時の放水路などについても皆でまちづくりの話しを検討して行くべきではないだろうか。


4-6.遠景

町の景色でも、家康公が見たとおり、城から見る不動山が一番形がよい。小堤山をどう利用できるかも考えたい。 先人が後世に長く残したいと考えた事柄が石碑となって残されている。こうしたものももっと広く知られるようにしてよい。 松が枯れている、逆に木立で街が見えないなど手を入れることが考えられる。遊歩道等を付けたい。秋葉山、灯台の跡、半僧坊、現状では子供が遊べない。

役場から見た萩間川、相良港から見た富士山、地頭方港から見た富士山、太田浜から見た富士山、ポケットパークから見た富士山、 海岸から見た日の出。海から見た全景、波津の防風林、愛鷹岩遠望、屋根の上に富士山が見えるのはいけない。やはり海がないと、 遠渡坂から見た富士山、茶原から見た富士山、湊橋から不動山、山門から平田寺、二階松、中心街の新しい街路沿いの夜景、 男神、女神というように「これが相良だ。」といえる景色はたくさんある。

しかしこうした景色は一人一人が自分の敷地の中でだけ工夫してもなかなかうまくは行かない。 相良町に住む誰もが同じ景色を見て同じ価値観を持つようになれば、それを大事にして、 自然に相良の風景が守られるようになるのではないだろうか。 そのためには何ができるかを考えなくてはならない。


4-7.伝承の方策

悪い意味での「相良らしさ」として、大事なものを壊してしまうと言うことを挙げなくてはならない。 相良城も12年で壊している。最近の例では煉瓦造りの製氷工場、貸座敷「岡本楼」。 こうしたものが残ることが相良の町民の誇りになるような事を考えなくてはならない。 現代の我々は史跡、名勝、記念物といった先人が大切に守り、我々に伝えられたものについて、今の世の人はあまりにも無頓着である。

現在の相良の生活は歴史にうといものがある。 このごろの若い人の考えは、住宅にしても「洋風がかっこよい」と考えてしまうが、少しでもまちの中に昔風の建物が建てられたらと思う。 せめて川の側だけでも昔をイメージさせる建物が建つと良いのだが。

今まですんでいるところをじっくり見る機会がなかったので、良い機会であった。 残されてきた町の姿を子供達にもちゃんと伝えてやりたい。 今日のような話しは今まで聞いたことがなかった。 こうした話しが若い人にもちゃんと伝わるようにしておかないと、次なる発展は望めないのではないか。 今の子供は年寄りの話を聞こうとしないので将来が心配である。