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第2回 相良町
歴史財を生かした
町づくりを考える会
平成4年12月8日
9:00ー16:00
出席者
- 竹内 明正
- 静岡県御前崎土木事務所建築住宅課長
- 川原崎次郎
- 相良町文化財保護審議会会長
- 八木 明
- 前相良町商工会青年部長
- 戸塚卯太郎
- 相良町文化財保護審議会委員
- 増田 友一
- 相良町福岡区長
- 名波 庄作
- 相良史跡調査会会員
- 秋野 幹雄
- 相良町商工会観光サービス部長
- 名波 昭子
- 相良町商工会婦人部長
- (山下 久雄
- 相良町まちづくり推進課長補佐)
- 今村 一昌
- 相良町都市計画課長
- 大窪 良樹
- 相良町都市計画課 オブザーバー
- 横山 和久
- 相良町都市計画課 オブザーバー
- 田中
- 秋山
- 神埼
- 矢部
- 中山
- 古山
- 大沢
- 真鍋
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- 真鍋
- 県の方針、来年度、さらに再来年度は町づくりを考える会が町とともに引き続き取り組んで欲しい。平成元年から平成4年までは調査期間、所謂ソフトづくりであったが、来年度からはハードウエア整備事業への取り組みを期待する。
- 竹内
- 「相良港ふるさと海岸整備事業」の説明
a. ウオッチング結果で感じたこと、気付いたこと
- 川原崎
- 歴史財、地形、地物といったものがすべての基礎になる。
- 戸塚
- 町のかお」とは何かを考えてみた。城下町、海、湊、凧、技能、工芸と言ったものが浮かんでくる。海の東海道を考えたとき、景色という面から言えば地頭方が昭和30年に合併して相良となったのであるが、地頭方から見た相良の景観が素晴らしい思う。萩間川からは石灰が取れ、年貢として収めた記録もある。
- 川原崎
- 鎌倉河岸は重要である。鎌倉河岸に遊歩道を作り、できればシーサイドパークまで結ぶ、愛鷹岩を見る観光船を考えてもよい。
- 増田
- 子供のころとは変わってしまっている。相良橋が変わった。道路のせいで狭くなった。川が浅くなり、今では泳ぐことが出来ない。魚、鰻、海苔も川で採ることはなくなってしまった。川がきれいになれば観光にも役立てることが出きるが、どのような方法できれいにするかを考えなくてはならない。下水を整備して、汚水を川に流さないと言ったことも含め、川に対する構想を立てるべきである。
- 名波庄作
- 琴平さんを山から下ろして砂を売ろうと考えてバチが当たった、小堤山を削って売ったらどうだ、という風に、相良では何事も商売を先に考えるということが多かった。商人の力が強かったと考えられるだろう。外堀も外側は町人が自分達で積んだ様な様子をしている。萩間川はうまく蛇行していて、船を付けるのに具合よくできている。景観としても大事にしてよい。
- 秋野
- 先祖の築づいたものと言っても、礎石しか残っていないので、なかなか想像するのが難しい。仙台河岸などはかろうじて残っている。かわらないものと言うと、自然とか地形などで、こうしたものはなるべく人の手を加えないで残しておいたほうがよい。石灰山も崩れている。陣太山の景観も崩れている。
- 名波昭子
- 今まですんでいるところをじっくり見る機会がなかったので、良い機会であった。残されてきた町の姿を子供達にもちゃんと伝えてやりたい。それと同時に、御前崎の白羽ではサーフィン大会をやっており、片浜にヨットハーバーを作ってはどうかと言われているようだが、相良も他所から人が来て海に親しむような工夫をもっとしてもよいのでは。
- 八木
- 鎌倉河岸の下の樋尻川は、かっては船が入ったと言われており、もっと広くてもよいはずなのに現在では狭くなってしまっている。元に戻すのが無理なら面影だけでも残るような工夫をしたい。湊の面影がちゃんと分かるように浚渫などをするべきだ。
- 秋山
- 商店街にしてもやみくもにビル化してしまうだけでなく、昔の面影を残す工夫もあるのでは。
- 秋山
- 住んでいるのが榛原なので、今日のような話しは今まで聞いたことがなかった。こうした話しが若い人にもちゃんと伝わるようにしておかないと、次なる発展は望めないのではないか。
- 神崎
- 私も榛原である。榛原町も竹田と徳川の戦以来、歴史のあるまちであり、石雲院等古い寺はあるが、相良のような立派な歴史は残っていないのでうらやましく思う。
- 矢部
- 常々「私のところの庭には大きな池があり、きれいな築山もある。」と言っている。相良の人間にとって、富士山が見えるのは当たり前。となっているが、もう一度これを見直して、より美しく見えるには、より美しさを活用するにはどうしたらよいかを考えてもよいのではないか。松並木と富士山がよく合うと思う。最近松が枯れているが城力を大事にしたい。せっかく自然に恵まれているところなので、乱開発しないようにしたい。
- 竹内
- 川沿いに昔の面影の残る建物でもあれば、と思う。事業の方からは、堤防の改修をする際に「城の石垣のイメージで」などという考えも出てくるが、そうしたことももし本物が残っているのであれば、そちらの方を手当てするのが先であろう。残っているものがあるとすればこれ以上のものはない。相良橋にしてもいずれは付け替えなくてはならないが、そうしたおり、あるいは堤防、水門などの整備に際しても、そうしたことを応用し、残されたものと調和出来ればそれに越したことはない。
- 大窪
- 瓦屋根が印象的であった。相良の景観を活かすには萩間川の浚渫を考える必要があるだろう。そのた、湊橋の掛け替え計画もあるが、そうした際、昔の橋をイメージするような高欄などについてもきちんと考えたい。
- 横山
- 現在の相良の生活は歴史にうといものがある。このごろの若い人の考えは、住宅にしても「洋風がかっこよい」と考えてしまうが、少しでもまちの中に昔風の建物が建てられたらと思う。せめて川の側だけでも昔をイメージさせる建物が建つと良いのだが。
- 川原崎
- 史跡、名勝、記念物といった先人が大切に守り、我々に伝えられたものについて、今の世の人はあまりにも無頓着である。例えば愛鷹岩へ遊山にでかけるというのは相良独自の文化伝統である。明治時代には旧暦3月12日13日に潮干狩に行くというもので、家康公の船遊山を手本にしたものだが、明治のころに較べはるかに後退している。そうした相良独自のレジャーもあってよいのではないか。町の景色でも、家康公が見たとおり、城から見る不動山が一番形がよい。萩間川にしても戦争前まではちゃんと浚渫をして、昔の景色を残していた。今のように水がないのでは景色がよくない。
- 真鍋
- ここには素晴らしいネタがある。若い人のスポーツ、レジャー関景の施設を作るのもよいと思うが、川沿いの景観をどう飾るか。建物、水質、石垣などを生かして文化的、歴史的なものを作ってみてはどうかと思った。
- 古山
- 一番驚いたのは仙台河岸であった。町の古い写真集を見て、昔は凄いものがあったんだな、と思っていたが、今日見て改めてびっくりした。
- 大沢
- 相良は凄い歴史をもっている。仙台河岸のあたりは是非何かに活用できるのではないかと思う。遊歩道などあれば楽しめるのではないか。川と港が一つのテーマになって何か特徴のあるものが出来ると思う。
b. 「相良らしさ」あるいは「相良自慢」について
- 田沼さんのお城
- 小学校の松
大手であり、最も相良城の面影を伝えている。
- 御榊神事
菅ヶ谷にある
- 大事なものを壊してしまう・・・悪い意味での「らしさ」として
相良城も12年で壊している。最近の例では煉瓦造りの製氷工場、貸座敷「岡本楼」
- 独自の味覚文化
相良海老、かじめ、相良布、さわら、昔は料理屋が多かった。
- 凧
流す凧である。昔は正月頃から子供が上げ始め、五月の節句までやった。相良と福岡の対抗でやったこともある。今は連休に紅白対抗でやっている。
- 御船神事
- 石油
明治16年石坂周造が始めたものが近代的な機械堀井の始まりであり、新潟よりも古い。
- 萩間川
1ー1.5m程度掘り下げれば昔のような姿になる。近代に入っても、矢部工業の50トンくらいの石炭船が入っていた。
c.私の「相良八景」
- 役場から見た萩間川
- 相良港から見た富士山
- 地頭方港から見た富士山
- 太田浜から見た富士山
- ポケットパークから見た富士山
- 海岸から見た日の出
- 海から見た全景
- 波津の防風林
- 愛鷹岩遠望
イシダイ、カジメ、などが採れる。日清、日露戦争のころには蚫の養殖をやって輸出したこともある。
- 屋根の上に富士山が見えるのはいけない。やはり海がないと。
- 遠渡坂から見た富士山
- 茶原から見た富士山
- 湊橋から不動山
- 山門から平田寺
- 二階松
- 中心街の新しい街路沿いの夜景
- 温泉
熱水型温泉が湧くという調査報告がある。通年型観光にとって貴重な資源となる。
- 男神、女神
- 小堤山
秋葉山、灯台の跡、半僧坊、現状では子供が遊べない。
f. 「やってみたいこと」
- 戸塚
- 仙台河岸を活かす。金谷町の「石畳のある街」のような活かし方が出来ればよいのではないか。石灰山も活用したい。萩間川を浚渫する。
- 増田
- 現状では海水浴も雨が降ればダメである。海岸に全天候型の海水プールを作りたい。
- 名波庄作
- 古い建造物を残すことを考えたい。相良城の陣屋であった建物が幼稚園に残されているが、これを残したい。紋瓦、献木で作られたので、寄付した人の名前などが残っている。
- 秋野
- 通年型観光に向けて小堤山をどう利用できるかを考えたい。松が枯れている、逆に木立で街が見えないなど手を入れることが考えられる。遊歩道等を付けたい。
- 名波昭子
- 子生まれ石は珍しいものなので多くの人に見せたい。陣太鼓も他所の人に知ってもらいたい。
- 八木
- こうした形で相良のまちづくりを語るという機会は始めてなので有意義である。これからもこうした会を続けたい。細くであっても長く続けることで必ず成果が上げられると思う。
- 竹内
- 昔のものは手当てをしないとどんどん無くなって行く。地域に伝えられたものの中から「これが相良だ」と言うものを育てて行けば、文化的にもこれからの海岸地帯の中核となりうる。
- 川原崎
- 温泉、ガスを観光に利用する。
通年型観光にとって貴重な資源。年間70万人ー80万人位の観光客を呼びたい。
- 愛鷹岩の船遊山を復活する。
人工島を作って海洋レジャーなどと言っているところもあるようだが、家康公以来の船遊山の方が洗練されてはいないか。釣掘のような活用法もあるだろう。
- 男神、女神の石灰山を活用する。
珊瑚礁による石灰の露頭であり、貴重なものである。かっては庭園が作られたこともあり、月見が催されたこともある。天明の頃の筆塚も残っているように文人が 集ったところである。
- 矢部
- 玉石の間知石積みは現在では貴重な技術となっている。例えばこれを利用して仙台河岸に遊歩道を作り、両側の民家を整備すればここが風の通り道とはならないだろうか。ただし相良は全体に地盤の悪いところなので、昔の人がどのような工夫をしていたかをきちんと捕えなくてはならない。増水時の放水路なども皆でまちづくりの話しを検討して行くべきだ。
- 古山
- モンタレーの事例説明
- 次回は平成5年2月2日午後1時30分より
- 「考える会」の続きを来年度も続けるという方向で考えて行きたい。
「まちなみデザイン推進事業」という制度もある。
「考える会」のような団体が会費を集めてまちなみを考える。それを町、県、国が支援するというもの。
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