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目次 はじめに 監修の言葉 1.海の東海道と静岡県 2.千石船 3.江戸時代の港湾施設 4.伊豆の湊 5.駿河の湊 6.遠江の湊 調査を終えて
6-1.川崎 6-2.相良 6-3.御前崎 6-4.福田 6-5.掛塚 6-6.今切 1.はじめに 2.掛塚湊の概要 3.まちなみの様子 4.望ましい掛塚湊のまちなみ 5.これからの課題 6.資料




明治時代の掛塚湊
廻船の船溜まりが見え、近代化の始まった製材工場も掛塚湊を拠点にしていたことがわかる。



明治時代の十郎島東橋
天竜川を荷船が次々と下ってくる。

6-5-4.望ましい掛塚湊のまちなみ

4-1.後世に残したい掛塚湊

第3章でみたように、掛塚の町には今なお掛塚湊の繁栄を物語る歴史財が豊富に残されており、歴史財の宝庫とも言うべきである。これは掛塚がかっては浜松駅前、掛塚、笠井の地価が遠州で一番だったと言われている通り、廻船業による物資流通基地として非常に栄えたところであり、また、戦後の近代化の期間を通して農業、工業、商業のバランスの取れた発展を可能にする環境に恵まれていたためである。そのため浜松周辺ではこれだけ古いものが残っているところは掛塚以外には無い。まちなみを構成する町屋だけでなく、例えばお寺をみても、数が多い、それも手入れがよく行き届いているというのが他では見られないことであった。古いまちでは経済的に寺の維持管理が出来ないところが多い、新しいまちには寺がないということで、掛塚が豊かな歴史と、その後の近代化の過程に恵まれていることがわかる。こうした歴史財を将来にわたり是非とも保存したい、と考えるのが町民共通の願いであろう。竜洋町では、周辺の農業地域をみても、戦後建てられた農家建築などは更新期に入っており、ワラ屋根などはなくなりつつある。これらの農村建築は遠州平野の典型的な住宅建築であり、こうした建物を何らかの形で残すことが考えられるのは当然であるが、掛塚湊については特に今までに伝えられた地域の歴史財、環境的な蓄積資産をまちなみとして残す整備をしたいと考える。

整備をしなくてはならないときに来ていると思う。一般的な区画整理が行なわれれば、古いものが消えてしまい、いかにも残念である。賑わったころの面影を今なら何とかして再現できるのではないかと思う。 さて、地域の将来、これからの掛塚湊のまちなみの姿はどのようなものであろうか。近代化と共に、かっては商業の中心地であったものが、現在では商業を営むのは1/4である。町工場も転出して住宅地というのがこれからの地域の特性となって行くであろう。「古いものを残しながら誰もが住みたくなるまち」というのが将来の掛塚の望ましい姿であろう。古いものを残しながら近代的な利便性を兼ね備えた、住宅地として優れたところ、住みやすいところになれば若い人は必ず戻ってくる。

例えば、車中心社会が産み出した近代的な住宅地がみせる通り沿いのよそよそしい雰囲気に勝るものを、掛塚のまちなみは持っており、掛塚を知る人はそれを良く知っている。掛塚について、「道路を拡げろ」と言う声は少ない。現在、本町には道路敷に電柱が残っているが、電柱があるからこそ安心して歩くことが出来るというのが町内会の意向である。掛塚では歩車道を分離する必要はない。これは現在でも狭い掛塚の通りでは自動車よりも歩く人が主人公であることによるものであるが、こうした優れた特質を受け継ぎつつ、更に便利な、車と人間のより良い関係を考えることもこれからの掛塚に必要なことであろう。土木行政から見ても、南のバイパスから道を一本引きたいところであるが、掛塚では現在のまちなみを損なうことなく、利便性と両立させなくてはならず、簡単なことではないと考えられている。

4-2.歴史財の残しかた

このような歴史財をどのような方法で残すか、についても様々な考え方が提出された。

  • 建物そのものは新しくなったり、変わってしまっているが、ただ道路を付けて建物を新しくするというだけでは考えもので、掛塚商業の中心地の雰囲気を「通り」として残してもよいのではないか。

  • 土手から見た遠景、まちなみの瓦が続き、その向こうに富士山が見える。というのは他所には無い掛塚独自の景観として大切にしてよいのではないか。こうした景観に、四角いビルであるとか、スペイン瓦、赤瓦などはそぐわない。

  • 生活はこのままでよいのか、保存するところ、手を入れるところを考えて、すぐにでも始めるべきだ。

  • これらの保存策を講ずる際、住む人が快適にということと両立するのでなければ意味がない。

  • 住居環境の整備が地域の観光資源化に役立つのではないか。

  • 寺とか、古い木など路地の奥にあるものは車にのっていると気がつかない。歩くだけでなく、自転車でもそうしたものを回ってみることは出来ると思う。

  • 歴史財のマップを作って各戸配付としたらどうか。地元の人が再認識することでヴィジョン作りの基盤が出来る。

  • 寺であるとか、伝承芸能であるとかいったストーリーも豊富に伝えられているものと思われた。ウオッチングの「みどころ」が誰にも分かる形になればと思う。案内板等を整備すれば、地元の人も再認識するであろうし、他所から来た人にも分かりやすい。

  • 案内板も前は木で作ってあったのが汚くなってプラスチックというとどうもよくない。石には出来ないものか。

  • 林邸を見ても木戸等のように、緊急に手を入れなくてはならないものがあると思う。こうしたものについては町ですぐにでも施行してよいのではないか。

  • 祭りについてもどう宣伝して行くか、浜松市にも祭り会館があるが、常設展示館のようなものは考えられないか、




鶴谷酒店の明治時代のラベル
今でも保存されているそうです。
4-3.本町通で出来ること
  • 国道北側には倉もいくつか残っているが、大木があちこちに残ってまさにランドマークとして働いている。町民が共有すべき財産である。細い路地、神社、稲荷なども生活のための美しい空間であると感じた。

  • 南側では、旧郵便局、松下酒店などが通り沿い景観を構成している。これらを整備できないものだろうか。

  • 通り沿いにある駐車場は隠すことが出来ないだろうか。

  • 軒、屋根、看板、街灯、舗装等を廻船の湊を感じさせるものにする。




林邸の伊豆石の塀と冠木門
冠木門はすぐにでも手を入れないとならない状態にあります。「門被りの松」は既に枯れてしまいました。
4-4.津倉邸から林の池で出来ること
  • 保存建物の周囲に余剰地を集めて、一体的に保存してはどうか。林邸では一部建て替えが行なわれていて残念であった。

  • 林邸、津倉邸、松下酒店などは比較的狭い地域にかたまっている。これらと、その間にある水路を集約的に整備できないものだろうか。これを核として後世に伝えるまちづくりが出来ると思う。

  • 廻船問屋の整備については、建物だけでなく、敷地、さらには敷地の外側のまちなみについても同時に考えて行く必要がある。通りの舗装をどうするか、敷石などは考えられないか、槙囲いも残して行きたい、出来れば林邸から津倉邸までをゾーンとして整備できないだろうか。

  • 小路なども整備手法を考えて、エポキシをつかった土の道など、生活の温かみのあるものにして行ける。

  • 林家、津倉家の様に「是非残したい」というものだけでなく、「これはいらない」というものや、「あれが残っていればなあ」というものもあると思う。

  • 林家、津倉家等中を見ることが出来ないが、もし入れるようになれば子供達にも是非見せたい。




河口の落日。
4-5.堤敷と河川敷で出来ること
  • 旧掛塚港跡地に宿泊施設を作ったらどうかという話もある。作るのであれば観光バス1台分は収容できるものにして欲しい。千石船を復元して船上レストランはどうかという話もある。

  • 公園の整備に伴う建物、宿泊施設を考えることがあればそうした建物などもコンクリート造ということに限らないで考えて行きたい。

  • 貴船神社の仮宿を拝見したが、これももう少しどうにかしたい。

  • かってあったという池、運河を復元することは出来ないだろうか。出来ることならそうした水を活用して人間生活の文化を子供達に伝えたい。

  • 河口、遠州灘、入江の自然の景観、野生動物、野鳥といったものが竜洋の誇るものではないだろうか。

  • 天竜河口は大規模土木工事で様相が変わってしまっている。砂浜などは守っていかなくてはと思う。

  • 自然観察型観光というものも考えられよう。