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目次 はじめに 監修の言葉 1.海の東海道と静岡県 2.千石船 3.江戸時代の港湾施設 4.伊豆の湊 5.駿河の湊 6.遠江の湊 調査を終えて
6-1.川崎 6-2.相良 6-3.御前崎 6-4.福田 6-5.掛塚 6-6.今切 1.はじめに 2.掛塚湊の概要 3.まちなみの様子 4.望ましい掛塚湊のまちなみ 5.これからの課題 6.資料


6-1.「考える会」議事録

文責は(社)静岡県建築士会歴史的建築物保存事業特別委員会にあります。
第1回 竜洋町 
歴史財を生かした
町づくりを考える会


平成4年11月12日
13:30ー16:30

出席者
三谷 博子
竜洋町婦人会長
石川 亮一
竜洋町商工会副会長
長谷川安信
画家
鈴木  透
造園家
小栗 庄一
竜洋町企画調査課長
石川 量一
竜洋町土木課主幹
村松 雄志
建築士会中遠支部長
(鈴木体一)
静岡県史編纂協力員
(大手四郎)
郷土歴史家
(村上 豊)
竜洋町経済課係長

生熊 光郎
竜洋町企画調査課建築係主任
瀬嵜 浩二
静岡県袋井土木事務所建築住宅課主任

西谷  透
静岡県建築課調整係主任

石川
江間
中津川
長谷川
高木
真鍋
大澤
古山
佐々木
静岡県建築士会



真鍋
調査主旨

西谷
調査の位置付け、その他

大澤
まちづくりは地元で自らやるのでなければ成果は得られない。コンサルタントに出来るのは「お手伝い」に限られる。

竜洋町には林邸、津倉邸といった立派な歴史的建築資産が残されている。これらを核とした独自の町づくりが出来るはずである。

日本では明治維新による江戸時代の文化の否定、太平洋戦争の終戦によるそれまでの日本文化の否定と、歴史的文化の否定を二度にわたって行なっているが、 これから、それぞれの地域の特性をいかしたまちづくりを行なおうとするならば、歴史的に地域に残されたものがよりどころになる。 残されたものの中にたからがある。

石川亮
掛塚の街は瓦並がきれいである。かっての繁栄を伝え、「ここに故郷あり」という感じがする。 しかし、現在の住宅環境からは機能しなくなりつつあり、このままではなくなってしまう。 なんとかしてこうした歴史的な環境を伝承したい。

長谷川
少年時代を林家の近くで過ごしている。当時すでに空き家であり、もぐりこんで遊んではしかられた。 「変わった家、古い井戸」と不思議に思っていた記憶がある。 津倉邸にも格子戸等に当時の面影が残されている。

今一度こうした郷土の歴史財を勉強できたらとも思う。 そのためにはこうしたものを残さねばと思うが維持が大変であろう。

三谷
竜洋に住んで20年になるが、地域に何があるか、知らないところが多かった。

林家、津倉家等中を見ることが出来ないが、もし入れるようになれば子供達にも是非見せたい。 掛塚港も繁栄したころの面影が残っていないのが残念。

鈴木透
竜洋でも掛塚でないので、詳しいことは解からない。

竜洋というところは街全体が平面的なところなので、「我が街自慢」をするような特色に乏しいところではある。

昔は天竜川の湧き水からの流れが沢山有ったが、現在ではそうした流れも楽しめるものではなくなりつつある。

「掛塚の祭り」「町並み」といったものは大切な資産として守って行きたい。 こうしたことの勉強に際しては、事前にウオッチングが必要だと思う。

小栗
町で都市計画などを担当している。

戦後建てられた農家建築なども更新期に入っており、ワラ屋根などはなくなりつつある。 遠州平野の典型的な住宅建築であり、こうした建物、あるいは掛塚港の遺構なども残すような整備をしたいと考えている。

公園の整備に伴う建物、宿泊施設を考えることがあればそうした建物などもコンクリート造ということに限らないで考えて行きたい。

掛塚の町並みについては、地元にしてみれば「再開発」という考え方もあると思うが、道巾を拡げるだけでよいのかどうか考えて行きたい。

石川量
建設省の浜松工事事務所から、大正時代の掛塚の地形図が発見された。
畳30帖ほどの1/500のもので、当時の町並みを知るうえで非常に貴重な資料である。船着き場などの様子も解かり、千石船の出入りの様子が解かる。

津倉家にもかなりな文書が保存されている。菱垣廻船については貴船神社にも資料がある。

現在担当している土木の仕事では、こうしたゆとりの施策まではなかなか手が回らないのが実情である。

生熊
土地利用計画などを行なっている。
町全体を考えたとき、掛塚の町並みは都市計画事業のやりにくいところである。どうしても後回しになってしまう。 農地を転用して新市街地を作る、というほうが簡単ではある。

掛塚のようなところでは、細い街路が多いが巾を拡げる、交差点の角を斜に切る。というのもなかなかできないでいる。 しかし成り行きに任せておくと次第にブライト化してしまうので対策を考える必要がある。

地域全体の将来的なマスタープランと、それをやったらどうなるという現実的な先行試行事業の両方が必要であるが、なかなか大変である。

こうした会がそのようなことのきっかけになればと期待している。

江間
掛塚の街と言っても、外から来ると150号線から中に入らないで通り過ぎてしまうことが多い。 視線を変えてみると、今まで見えてこなかった地域の特性が見えてくるのではないか。

掛塚でも道路の溝が中心線にあるとか、槙の囲いが多いとか、特色がいろいろ有ると思う。

林家、津倉家の様に「是非残したい」というものだけでなく、「これはいらない」というものや、「あれが残っていればなあ」というものもあると思う。

大澤
浜松周辺ではこれだけ古いものが残っているところがない。

かっては浜松駅前、掛塚、笠井の地価が遠州で一番だったと言われている。非常に栄えたところであり、是非とも保存したい。 その際に、住む人が快適にということと両立するのでなければ意味がない。

世田谷、神戸の山の手等に見るように、「掛塚方式」というものを見付けだす必要がある。

石川亮
旧家では古くから瓦屋根であり、土蔵を幾つも建てた。今見ても繁栄した街だなということが解かると思う。 「瓦屋」という屋号の風呂屋があるが、近所で最初に屋根を瓦にした家だとのこと。

屋号はほとんどの家が持っているが、芳しくない屋号もあるので、一律に積極的に名乗れない場合もある。 「お琴」さんの家に船乗りだった人が住み着いて「お琴善サ」などという屋号もある。

小栗
竜洋町の観光の現況は、遠隔地からの呼び込みを考えられるものは掛塚祭りと海洋公園と言うところである。

石川亮
祭りの屋台を中心に観光だけでなく、商業活性化も図ろうとしている。

呼び込みと共に地元の啓蒙にも役立てようということで、観光カレンダーを作成している。10年分くらいためると写真集が出来上がるというものである。

あるいは旧掛塚港跡地に宿泊施設を作ったらどうかという話もある。 作るのであれば観光バス1台分は収容できるものにして欲しい。千石船を復元して船上レストランはどうかという話もある。

大澤
河口、遠州灘、入江の自然の景観、野生動物、野鳥といったものが竜洋の誇るものではないだろうか。

生熊
天竜河口は大規模土木工事で様相が変わってしまっている。砂浜などは守っていかなくてはと思う。

石川量
祭りの神輿は貴船神社を出ると元宿から蟹町まで巡行し、再び神社に戻る。千石船も付く。千石船は出船、入船を行なう。

大澤
既存市街地では住居環境の整備が地域の観光資源化に役立つのではないか。

  • 道が狭い→若い人は新市街地に住宅を新築→親を呼ぶ→空き家→駐車場になる→地上げ/細分化して分譲→車が増える

  • 平均的な敷地割りは100ー150坪、細長い

  • 元屋敷、元宿周辺は昭和5年の堤防の改修の際に分筆している。

  • 旧家では600坪等

  • 細分化に対しては50坪以上という指導をしている。

  • 旧郵便局、鶴屋酒店、尾崎医院、稻勝邸、松下酒店

  • 旧市街地南側は福永飛行場にも使われた。

  • 自然観察型観光というものも考えられよう。


村松
地元住民の意見をうかがうということが重要である。

大澤
来年度以降は、「まちなみデザイン推進事業」に繋げていかれてはどうか。




第2回 竜洋町 
歴史財を生かした
町づくりを考える会


平成4年12月15日
9:00ー16:00

出席者
池田 藤平
竜洋町長

鈴木体一
静岡県史編纂協力員
石川 亮一
竜洋町商工会副会長
大手四郎
郷土歴史家
長谷川安信
画家
鈴木  透
造園家
(三谷 博子
竜洋町婦人会長)
小栗 庄一
竜洋町企画調査課長
石川 量一
竜洋町土木課主幹
村松 雄志
建築士会中遠支部長
村上 豊
竜洋町経済課係長
岩谷 貞二
竜洋町教育委員会社会教育課主任
村松 雄志
建築士会中遠支部長
生熊 光郎
竜洋町企画調査課建築係主任
瀬嵜 浩二
静岡県袋井土木事務所建築住宅課主任
袴田 力志
静岡県袋井土木事務所建築住宅課主任

(西谷  透
静岡県建築課調整係主任)

石川
江間
中津川
長谷川
高木
真鍋
大澤
古山
佐々木
9:00ー16:00
まちなみウオッチング
潜竜寺ー元宿ー本町通り石倉ー貴船神社ー西光寺ー津倉邸ー旧郵便局ーー旧遊廓ー稲勝邸ー林邸ーツルヤ酒店ー池ー蟹町

13:30ー
ウオッチングの結果で感じたこと、気付いたこと
池田町長
謝辞

自分の生まれ育った家の周辺ということでもあり、廻船業をやっていたということからも、小さなころから歴史に興味があった。

こうしたものを何とか町の活性化に結び付けられないかと考えている。

道が狭い、家が道一杯に建っているといった問題を抱えている。

高齢化も問題である。

竜洋町は全体では高齢者率は11%程度であるが、地域的な片寄りがあり、町内会毎に統計をとってみると、 新しい市街地では2%程度であるものが掛塚では20%から最高26%となっている。 そのため空家が増える、あるいは取り壊されて駐車場になってしまう、そうでなくても老人世帯が増える、ということで活性化に苦慮している。

海の東海道というテーマで残された資産を活性化に活用しようという試みは町にとってもうれしく、頼もしく、 力強く思うところで、掛塚のまちづくりのため、町も覚悟をもって望みたいと思っている。

鈴木体一
常々、歴史には関心のあるところであるが、こうして一度に掛塚全体を見るのは始めてで面白かった。

入り組んだ民家の奥に石倉があるのが美しい。川沿いに稲荷がいくつもあるのは海運との関連である。史跡、文化財を再確認した。

石川亮一
今まで掛塚に抱いていたイメージと違うものがあった。

小路がこんなに沢山あって、美しかったのか、残っている旧家の建物も倉が美しい、瓦が美しい。住んでいながら勉強不足であったと思う。

大手
子供の頃からずいぶん変わってしまっている。商家、民家の格子戸も残っていて、なるほど、昔はこういう作りだったなと思いださせる。

伊豆石の倉も思ったより沢山残っている。

長谷川
普段歩いている道だが、道路割りが縦横にきちんとしていて、家がびっしり並んでいる。昔の繁栄の様が伝わってくる。

本町から新町への道はそうした時代の道のままで一本残っている。 建物そのものは古くなったり、変わってしまっているが、掛塚商業の中心地の雰囲気を「通り」として残してもよいのではないか。

鈴木透
海の東海道と共に、天竜川の水運で栄えた町だな、と感じられた。

国道北側には倉もいくつか殘っているが、大木があちこちに残ってまさにランドマークとして働いている。

町民が共有すべき財産である。細い路地、神社、稲荷なども生活のための美しい空間であると感じた。

南側では、旧郵便局、林邸、津倉邸、松下酒店などが比較的狭い地域にかたまっている。

これらと、その間にある水路を集約的に整備できないものだろうか。これを核として後世に伝えるまちづくりが出来ると思う。 通り沿いにある駐車場は隠すことが出来ないだろうか。

小栗
どんなことで町の再整備が出来るのかが長年の課題であった。

ただ道路を付けて建物を新しくするというだけでは考えもので、今回のようなことを応用して行く必要がある。

石川量一
土木から見ると、南のバイパスから道を一本引きたいところであるが、現状からすると簡単なことではないと考えている。 脚で歩いてみると、日頃車から見るのと町の様子がかなり違うのに驚く。

小路なども整備手法を考えて、エポキシをつかった土の道など、生活の温かみのあるものにして行ける。

村上
気づかないところに倉がいくつもあるのに気付かされた。少し手を加えるだけで、観光資源としても活用できる。

岩谷
林邸、津倉邸、など、残っているものは何とか保全できないであろうか。

生熊
あらためてこうして歩いてみると、倉、大木が沢山残っているのに、今まで気がつかなかったことを知らされる。 古いまちなみについては一軒々の建物はかなり古くなっていて、すぐにでも建て替えがされそうだと感じた。

空き地に対するミニ開発が目についた。手を打たないと急速に消えつつあるなという感想である。

佐々木
平成元年度の調査で一件も取り上げられなかったことを反省している。

石川
歴史財の宝庫である。整備をしなくてはならないときに来ていると思う。 一般的な区画整理が行なわれれば、古いものが消えてしまい、いかにも残念である。

一箇所に集めるのは大変なことであると思う、保存建物の周囲に余剰地を集めて、一体的に保存してはどうか。林邸では一部建て替えが行なわれていて残念であった。

江間
生活の匂うまちである。国道北側では老木が目についた。槙囲いにしても高さといい、太さといい、立派なものである。

かってあったという池、運河を復元することは出来ないだろうか。出来ることならそうした水を活用して人間生活の文化を子供達に伝えたい。

中津川
寺とか、古い木など路地の奥にあるものは車にのっていると気がつかない。歩くだけでなく、自転車でもそうしたものを回ってみることは出来ると思う。

長谷川
倉の多さ、まちの静けさなど、言われてみないと気付かないことも多かった。残すべきものは多い。

高木
常日頃見ていても気がつかないが、生活感のあるまちなみだと再確認した。

現実には若い人は外にでて仕事をする、新しく住みたい人が入りにくい。ー空き家が増えるー分譲がでる、と言う状況であろう。

賑わったころの面影を今なら何とかして再現できるのではないかと思う。

大沢
寺が多い、それも手入れがよく行き届いているというのが他では見られないことであった。

古いまちでは経済的に寺の維持管理が出来ないところが多い、新しいまちには寺がないということで、掛塚は恵まれている。

土手から見た景観、まちなみの瓦が続き、その向こうに富士山が見える。 というのは他所には無い掛塚独自の景観として大切にしてよいのではないか。こうした景観に、四角いビルであるとか、スペイン瓦、赤瓦などはそぐわない。

生活はこのままでよいのか、保存するところ、手を入れるところを考えて、すぐにでも始めるべきだ。 住みやすいところになれば若い人は必ず戻ってくる。

真鍋
瓦、石垣、路地、生垣、老木、水路、活かして行くものは多い。通りぞいの駐車場に目隠しをするなどもできる。 そのようにして歴史財を活かして行くことの出来る可能性の大きなまちではないだろうか。

寺であるとか、伝承芸能であるとかいったストーリーも豊富に伝えられているものと思われた。


b.「掛塚らしさ」「掛塚自慢」
  • 古いものを残しながら住みたくなるまち
    放置すればスラムかしてしまう。何とか住みやすいまちにしたい。
    新しいまちと同じになっても郷愁がなくなる。

  • 古いもの

  • 住みにくい

  • 商店が遠い
    住民が「良いまち」という認識をもつことが大切、古いものを生かしつつ、良くして行くことだ。

  • 津倉邸の倉

  • 槙囲い
    樹齢70年から100年であった、切られるものも多い。

  • 路地と民家

  • 商家の並ぶ通り

  • 林邸
    開放できないものだろうか。

  • 稻勝邸

  • 古い倉

  • 静かな生活

  • 安心感

  • 祭り

  • 川の恵み
    昔は通りで買い物が済んだが、今では商店が郊外に出てしまって買い物に遠くまで行かないといけない。日常生活では有り難くない。

  • 天竜川の入り日

  • 地球が丸く見える



  • 暮らしと商い
    かっては貴船神社を核とし、天竜川流域、遠州灘全域を覆う掛塚のコンセプトがあった。 生活の多様化、産業の多様化で拡散してしまった掛塚のイメージを、歴史財の整備を核として再構築出来ないだろうか。

  • 廻船問屋

  • 石倉

  • 格子
    上の3点は湊に関する歴史財、建て替えは難しそうである


  • 寺の多いところである竜洋全体で21ヶ寺、廃寺が24ヶ寺以上ある

  • 貴船神社

  • 白羽神社

  • 槙囲いのある路地
    当時の面影を残す路地が歩きやすく配置されている。案内板等を整備すれば観光に利用できるのではないか

  • 魚屋
    100m以内に7軒が集中しており、現在も5軒が浜松方面等への業務用卸しを含み、営業している。 かっての港の賑わいを伝えるものである。遠州灘においては福田と掛塚が魚河岸の双璧だった。

  • 酒屋

  • 屋台

  • 小路
    現在の都会にはありえないコミュニティー装置として機能している。
    • コウジ
    • ショウジー見付での呼び方
    • ロジ
    • オクドオリ


  • 山が無い

  • 小路の奥の石倉

  • 稲荷
    普通山から裾を向いているが川に向かって拝むのは水運との関係であろう かっては材木を商う人が屋敷内に祭ったものである。移転にともない町内で祭るようになった。

  • 井戸
    佐久間ダム、秋葉ダムが出来るまでは自噴していた。水受けを三段に作り、飲料ー炊事ー洗い物、洗濯に使っていた。近所にも分ける様になっていた。

  • 水と光と緑のまち
    現在の竜洋町のキャッチフレーズである。水は井戸のもととなる天竜川の伏流水、広く舟運を通ずる水路、廻船湊である

  • 伊豆石
    江戸廻船が帰りに空荷のままでは遠州灘を渡れないので伊豆でバラストとして積み込んでもたらした。
    防火壁に使われた。
    明治32年の大火では川輪からの飛び火で700戸が消失している。
    昭和19年の地震で倒壊したものも多い。

  • 冬は野鳥、春はウィンドサーフィン、夏はイナダ、秋はボラ

  • 屋並の向こうに富士

  • 林邸のオオイタビ
    持ち主の意向があれば買収に応じられる

  • 天竜川
    管理上遊泳禁止で子供達が親しめないのが残念、河川敷に公園を作り水を引き込んで流せないかを検討中である。

  • ツルヤの池の夜桜


f.やってみたいこと

「道路を拡げろ」と言う声は少ない。本町には道路敷に電柱が残っているが、電柱があるからこそ安心して歩くことが出来るというのが町内会の意向である。

かっては商業の中心地であったものが、現在では商業を営むのは1/4である。町工場も転出して住宅地というのがこれからの地域の特性となって行くであろう。 掛塚では歩車道を分離する必要はない。

歴史財について、評価はあっても地元にその意識がない。誰もが知るというのが第一歩ではないか。移築というのも難しく、 現地で保全するというのが考えられることだと思う。 旧家の建物だけでなく、普通の家、シトミのついた民家なども所有者の意向を確かめたうえで「これは」と思われるものについては残すことを考えてはどうか。

ウオッチングの「みどころ」が誰にも分かる形になればと思う。案内板等を整備すれば、地元の人も再認識するであろうし、他所から来た人にも分かりやすい。

案内板も前は木で作ってあったのが汚くなってプラスチックというとどうもよくない。石には出来ないものか。

歴史財のマップを作って各戸配付としたらどうか。地元の人が再認識することでヴィジョン作りの基盤が出来る。

  • 建て替え、あるいはミニ開発をどうするか、ルールづくりが必要ではないか。

  • 林邸を見ても木戸など緊急に手を入れなくてはならないと思う。こうしたものについては町ですぐにでも施行してよいのではないか。

  • 貴船神社の仮宿を拝見したが、これももう少しどうにかしたい。

  • 祭りについてもどう宣伝して行くか、浜松市にも祭り会館があるが、常設展示館のようなものは考えられないか、

  • 廻船問屋の整備については、建物だけでなく、敷地、さらには敷地の外側のまちなみについても同時に考えて行く必要がある。通りの舗装をどうするか、

  • 敷石などは考えられないか、槙囲いも残して行きたい、出来れば林邸から津倉邸までをゾーンとして整備できないだろうか。

  • 浜松市では千歳町でこうしたゾーン整備を行なっている。関係者の同意があれば地区計画を作ってそれにたいして自治体が手助けすることが出来る。

  • そうした場合にも地元の認識を高めるためにはさらにソフト整備が重要であろう。

次回 平成5年1月28日13:30から 報告書原案の検討




6-2. 調査を終えて

調査を終わるにあたり、今回の調査が、池田竜洋町長初め、「考える会」に参加くださった各委員、 その他関係各位の掛塚に対する熱意の賜物であることを明記し、ここに下記各位への深甚の謝意を表したい。

竜洋町 歴史材を生かしたまちづくりを考える会
委員長静岡県史編纂調査協力委員鈴木 体一
委員竜洋町商工会副会長石川 亮一
委員竜洋町婦人会長三谷 博子
委員画家長谷川安信
委員郷土歴史家大手 四郎
委員造園家鈴木  透
委員竜洋町企画調査課長小栗 庄一
委員竜洋町経済課観光係長村上  賢
委員竜洋町土木課建設主幹 石川 量一
委員竜洋町社会教育課歴史文化財主任岩谷 貞二
委員静岡県建築士会中遠支部長村松 雄志

竜洋町長 池田 藤一
静岡県建築課調整係主任西谷  透
静岡県袋井土木事務所建築住宅課主任瀬嵜 浩二
静岡県袋井土木事務所建築住宅課主任袴田 力志
竜洋町企画調査課建築係主任生熊 光郎

掛塚は独自の「湊づくり」「まちづくり」を行なってきた竜洋町の核となる地域であり、 これからの竜洋町を考えるとき、このような地域の歴史に根ざした歴史的建築資産はかけがえのない「宝」であろう。

来年度の「考える会」に期待しつつ報告を終わる。

平成5年3月15日


静岡県建築士会会長山梨 清松

歴史調査特別委員会委員長真鍋 秀男
副委員長大沢  稔 (執筆総括)
副委員長山崎喜久三 (事務総括)
委員千野慎一郎 (東部担当)
委員古山恵一郎 (中西部担当)
委員勝村  誠 (南伊豆担当)
委員杉本 政夫 (西伊豆担当)
委員矢部 忠司 (榛原担当)
委員佐々木静雄 (中遠担当)

中遠支部
副支部長石川 周史
理事江間 豊寿
会員中津川法雄
理事長谷川利之
理事高木 信任