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目次 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 9.おわりに | |||||||||||||||
![]() 戸田大川畔・大行寺付近 おたね川には戸田が廻船の湊として繁栄した時代に 河岸が置かれたといわれ、現在も往時の名残が感じられる
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| 4-8-4. まちなみの様子戸田峠を下ると、眼下の扇状地に点在する戸田の集落が見えてくる。 扇状地の海との接点は家並みが密集していて、高い建物も目につく。 駿河湾に突き出た御浜岬に囲まれた戸田港の船影と航跡も良く見える。 駿河湾越しには清水方面が、さらに遠く南アルプスの連山が眺望できる、 山と川と海のある素晴らしい自然景観に恵まれたまちである。 市街地に入ると民宿の看板が目立ち、大きな建物も公共施設を除くと観光施設で観光のまちの印象が強い。 最近どこにも見られるまちなみ景観で特色がなくなっている。 かつては瓦葺き寄せ棟の住宅が多く、草葺の屋根もあったようだし、 明治から大正にかけては、資産家は競って土蔵造りを建てたといわれているが、現在はわずかしか残っていない。 海岸線の大通りはかつては防風林の松林が続く海岸だったと言われている。 昭和8年から13年頃に埋立てられ、 道路の両側に新しく建設された店舗や観光施設が並ぶ戸田のメインストリートを形成しているが、 港町の雰囲気に欠け、景観面で課題を残している。 この海岸通りに並行している役場前の旧街道は、 道は狭いが沿道には古い民家や石垣や樹木など、昔の戸田の面影が残っている。 役場前から北に進んで、おたね橋からのおたね川畔の景観は廻船で栄えた戸田湊の名残がうかがえる。 また役場から逆に南に進んだ南端の大浦地区は昔は船頭街とも言われた所だが、 こゝの旧道沿にはかなり古い民家が残っていて、歴史的な街路空間を形成している。 裏山の急斜面には石垣が段状に積まれ、その間を急な石段が各戸をつないでいる光景は、 急峻な西伊豆海岸の昔の生活がしのばれる。戸田には七つも寺があり、人口の割合には多いが、 これは海上生活者の栄枯盛哀の激しさを物語っている。 また幕末にはディアナ号との関係も深い寺が多く、各所に日露交流の名残がみられる。
こうした戸田のまちなみは歴史財を主眼に見れば、次の5つの地区に分けてそれぞれの特徴をまとめることができる。
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| ■廻船の湊
松城家からおたね川に掛けての地区はかって廻船の湊として廻船問屋が並び、河岸の発達した地区である。
廻船業の変転と共に古く姿を変えた地区であるが、松城家に代表される様、かっての繁栄を示す建物も残っており、
この地区に関連する個人蔵の歴史財も多いものと思われる。
おたね川と道竜川の間は遠洋漁業基地として、西伊豆巡航船の港として、
観光戸田の顔として現在も戸田の中心をなす地区である。
国道沿いには見られないが、旧道には古い建物も多く、こうした建物を保存活用しつつ、
中心地区としての一層の都市化、高度化が考えられる地区である。
道竜川から勝呂家、宝泉寺、本善寺までの地区は江戸時代すでに戸田の中心として、
行政機能、宗教施設、その他が集中していた地区であり、ディアナ号の乗組員のための宿舎もこの付近に作られた。
これらの歴史的施設を核にして歴史的なまちなみを再生出来よう。
水産業が自然を相手にする産業であることから、海を主題にした観光開発では常に水産業から多くが学ばれている。
歴史的まちなみについても、石垣に代表される大浦のまちなみは海に暮らす戸田の伝統を良く伝えている。
残された船頭屋敷についても再生利用ができれば効果が高い。
先人が神聖な岬として守ってきた御浜岬には信仰と共に良く自然が残されてきた。
自然自体を歴史財として変わらぬ姿で次の世代に引き継ぎたい。
| 廻船の湊から戸田港へ ![]() ディアナ号の湊から大浦へ ![]() |