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目次
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![]() 井田の集落を望む |
4-8-5. 戸田の資源5-1. 恵まれた自然
5-2. 海の幸・山の幸
5-3. 歴史財1
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| 戸田村絵図(戸田村立博物館蔵) 土蔵造りの杉山商店 旧幕府役場跡 勝呂邸
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| ![]() 石塀とナマコ壁の土蔵 ![]() 庭から望む湯殿と土蔵 ![]() 石造の中門と玄関の破風 ![]()
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| 5-4. 歴史財2■松城家 戸田大川河口の鬼川に、かつて廻船問屋として栄えた旧松城家がある。現在戸田の教育長を務める当主の松城林三氏が、建築当時の佇まいを保善しながら生活されている。この建物は第七代戸田村村長の松城兵作氏が、明治5年(1972年)着手し、明治9年(1976年)に完成したものである。屋敷には地元、石ヶ原産の石塀がめぐらされ、正門を入ると右手がナマコ壁の土蔵、正面が使用人の寝起きした下屋で、その脇が通用口となっている。左手石造のアーチ状の中門を潜ると玄関で、この部分は最近改修されたばかりである。母屋は2階建寄せ棟の瓦葺で、外壁には石を貼った和洋折衷の建物である。庭は荒れてはいるが枯山水の面影がわずかに残っている。浴室棟は撤去され、台所等の水廻りは現在の生活に合わせて改造されている。 松城兵作氏は後に県議会議員から国会議員となり、中央の政財界の人達との交流も多く、勝海舟、品川弥次郎、江原素六、江川太郎左衛門との親交の記録が残っている。また芸術家との交流が深く、多くの芸術作品が残されている。中でも入江長八が明治28年に長期滞在して、建物の内外に彼の代表作ともなっている作品の数々(ふくらすずめ・竜・虎・野菜の図・松竹梅等)を残している。最近改修されたが玄関の木彫は、松崎の彫師石田半兵衛の作と言われている。他にも江川太郎左衛門の屏風絵や額、勝海舟の掛け軸など、いずれも素晴らしい作品が残っている。1階の座敷は明治20年(1887年)プチャーチンの娘オルガ・プチャーチンが、父のお礼に戸田を訪問した折、滞在したゆかりの部屋で、オルガが使用したといわれる籐椅子や家具が保存されている。2階の部屋は、和洋折衷で書院造りの伝統である和紙の袋貼りの壁に、天井は手画模様の輸入壁紙、さらにバルコニーと書院窓の組合せなど、大変興味深いものがある。照明器具や家具も素晴らしい。建築された当時は、松城家の近くまで水路がめぐらされ、戸田には12〜3隻あったと言われる廻船に通い舟が発着していたと思われる。
また松城家の2階書院窓からは、湊への入船、出船が見えたと言われているが、 現在は海岸線の家並でほとんど見えなくなってしまっている。
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