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目次 はじめに 監修の言葉 1.海の東海道と静岡県 2.千石船 3.江戸時代の港湾施設 4.伊豆の湊 5.駿河の湊 6.遠江の湊 調査を終えて
4-1.網代 4-2.川奈 4-3.稲取 4-4.下田 4-5.南伊豆 4-6.松崎 4-7.土肥 4-8.戸田 1.はじめに 2.戸田村の概要 3.戸田湊の概要 4.まちなみの様子 5.戸田の資源 6.問題点と課題 7.まちなみ再生の施策 8.活性化への施策
9.おわりに


井田の集落を望む

4-8-5. 戸田の資源

5-1. 恵まれた自然
  • 自然景観

    戸田には遠磨山からの眺望や港の景観、御浜岬、四季を通じての富士山、海からの景色、夕映え、湾内の夜景など、随所に素晴しい景観が見られる。

  • 御浜岬

    長さ750m、巾110m〜190mで、沿岸流の作用で形成された砂嘴である。波静かで白砂青松の絶好の海水浴場。 先端部に県指定のイマヌキの群生地があり、その他ハマユウやツワブキ等多くの植物が繁茂している。

  • 村指定の天然記念物

    魚見の松(柳ヶ窪)・根上り松(御浜)・友愛の松(御浜)・井田祇園の松・稲木家の蘇鉄(鬼川)・大行寺の蘇鉄(鬼川)・部田神社の大クス(大門)・宝泉寺のしだれ桜(入浜)・舟山神明神社のイヌマキ2本。

  • 井田明神池の谷地坊主

    各地で湿原がどんどん失われているが、谷地坊主は自然環境のバロメーターともいわれ、湿原植物のカブスゲ等の根が、土まんじゅうのように土といっしょに盛り上がる現象で、湿原の奇観である。 釧路湿原が有名で保護運動が行われているが、井田の谷地坊主の保護も考えたい。

  • 温泉

    昭和61年に湧き出た伊豆で一番新しい温泉で、湯量は毎分250リットル、温度は52℃。村営の温泉浴場、壱の湯と、珍しい温泉の自動販売機(温泉スタンド)がある。

  • 駿河湾の深海生物

    駿河湾は深海生物の宝庫で、海底300m〜500mには約300種の深海生物が生息しているといわれている。 タカアシガニ,サクラエビ,イバラガニ,「生きている化石」ラブカ,ギンザメ,センジュエビ,メンダコ,サギフエ,ウミグモ,御浜の駿河湾深海生物館には1000点が展示されている。

  • 草花

    井田のひと足早い春を知らせる菜の花畑。御浜岬のハマユウ、スカシユリ、ツワブキ,香花のシキミも多い。


5-2. 海の幸・山の幸
  • 戸田では新鮮な海の幸による数々の磯料理が自慢

    タカアシガニ,イセエビ,サザエ,タイ,カサゴ,メジナ,イサキ,岩のり・エビつくし料理・ 深海魚料理(オキギス,トロボッチ等)・塩釜焼 菜の花づくし料理

  • 磯釣・舟釣

    御浜岬をはじめ、変化のある釣の ポイントが多い。

  • 山の幸

    みかん狩の歴史は古い。シイタケ。

  • おいしい水

    遠磨山系を水源とする村水道。村内各所に自噴する堀抜き井戸がある。


5-3. 歴史財1
  • 民俗芸能
    • 漁師踊・漁師唄(県の無形民俗文化財)

      漁師唄は漁船唄(せきふね)と祝歌に分けられ、祝歌には漁師踊がついている。紀州から伝えられたといわれる。

    • 神社の祭典

      諸口神社:大漁と海上の守護神、橘媛命を祭神とし、毎年4月3〜4日に祭典が行われる。                      

      部田神社:大國主命を祭神とし五穀豊穣を願う祭りが毎年10月8〜9日に行われる。


戸田村絵図(戸田村立博物館蔵)


土蔵造りの杉山商店


旧幕府役場跡 勝呂邸

  • 有形文化財
    • 部田神社の絵馬2点(花鳥図,戸田村消防い組) 村指定
    • ディアナ号の錨 村指定
    • 諸口神社の鰐口(応永8年) 村指定
    • 戸田村絵図(戸田村立博物館蔵)

      1840年〜 50年の間に画かれたと推定される。

  • 史跡
    • 洋式帆船建造地跡(記念碑,牛ヶ洞) 県指定
    • プチャーチン関連遺品(戸田村立博物館) 県指定
    • プチャーチン提督宿所(宝泉寺・戸田入浜) 県指定

      安政元年12月7日より105日間、ロシア使節上官の宿舎として本堂庫裡 を使用した。 下士官は隣接の本善寺を宿舎とし、滞在中に病死した水兵2名の墓碑がある。

    • 日露交渉地跡大行寺 村指定

      海辺にあった廻船問屋、斉藤家を移築改修して本堂とした。

  • 民家
    • 松城家 旧廻船問屋
    • 杉山商店 役場前の土蔵造
    • 勝呂邸 旧幕府役場跡<
  • その他
    • 石切り場跡

      井田の石切場の石が、4代将軍家網の御宝塔(上野寛永寺)に使用されたと伝えられている。 石切場跡に不動尊像が残されている。

    • 松江古墳

      井田松江山には横穴式石室の円墳30基以上が、ほゞ完全な型で残っている古墳群。





石塀とナマコ壁の土蔵


庭から望む湯殿と土蔵


石造の中門と玄関の破風

5-4. 歴史財2

■松城家

戸田大川河口の鬼川に、かつて廻船問屋として栄えた旧松城家がある。現在戸田の教育長を務める当主の松城林三氏が、建築当時の佇まいを保善しながら生活されている。この建物は第七代戸田村村長の松城兵作氏が、明治5年(1972年)着手し、明治9年(1976年)に完成したものである。屋敷には地元、石ヶ原産の石塀がめぐらされ、正門を入ると右手がナマコ壁の土蔵、正面が使用人の寝起きした下屋で、その脇が通用口となっている。左手石造のアーチ状の中門を潜ると玄関で、この部分は最近改修されたばかりである。母屋は2階建寄せ棟の瓦葺で、外壁には石を貼った和洋折衷の建物である。庭は荒れてはいるが枯山水の面影がわずかに残っている。浴室棟は撤去され、台所等の水廻りは現在の生活に合わせて改造されている。

松城兵作氏は後に県議会議員から国会議員となり、中央の政財界の人達との交流も多く、勝海舟、品川弥次郎、江原素六、江川太郎左衛門との親交の記録が残っている。また芸術家との交流が深く、多くの芸術作品が残されている。中でも入江長八が明治28年に長期滞在して、建物の内外に彼の代表作ともなっている作品の数々(ふくらすずめ・竜・虎・野菜の図・松竹梅等)を残している。最近改修されたが玄関の木彫は、松崎の彫師石田半兵衛の作と言われている。他にも江川太郎左衛門の屏風絵や額、勝海舟の掛け軸など、いずれも素晴らしい作品が残っている。1階の座敷は明治20年(1887年)プチャーチンの娘オルガ・プチャーチンが、父のお礼に戸田を訪問した折、滞在したゆかりの部屋で、オルガが使用したといわれる籐椅子や家具が保存されている。2階の部屋は、和洋折衷で書院造りの伝統である和紙の袋貼りの壁に、天井は手画模様の輸入壁紙、さらにバルコニーと書院窓の組合せなど、大変興味深いものがある。照明器具や家具も素晴らしい。建築された当時は、松城家の近くまで水路がめぐらされ、戸田には12〜3隻あったと言われる廻船に通い舟が発着していたと思われる。

また松城家の2階書院窓からは、湊への入船、出船が見えたと言われているが、 現在は海岸線の家並でほとんど見えなくなってしまっている。


二階のバルコニー、鎧戸の欄間は長八の作品

階段手摺

照明器具

入江長八の作品(虎)

収納付き階段

天井の手描模様の輸入壁紙


松城家住宅 2階座敷北側間仕切襖詳細
内法6.00尺、幅12.00尺(柱芯々)の開口部全体に障子骨両面鳥ノ子張りの押し障子様のものをケンドンに落とし、2ヶ所に幅2.00尺、高さ5.70尺の花頭口を切って、これの内部に鳥ノ子張り太鼓襖を引き込んでいる。 伝統的な詳細により、「ドア」を表現した擬洋風の意匠と考えられ、注目に値する。