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![]() 目次 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 7.妻良・子浦の望ましいまちなみ | ||||
妻良の日和山(夫婦岬)から妻良の入江を望む 妻良の集落、正面に日和山(夫婦岬)が見える
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| 3. 妻良・子浦のまちなみの様子妻良のまちなみ妻良湾南岸の妻良は、殿田川の河口を中心に狭い平地に人家が密集している。昭和49年の伊豆半島沖地震前は、古い船宿の面影を残す民家も多かったといわれている。茅葺き屋根の民家が多く、屋根の葺き替えが年中行事となって、冬の南伊豆の風物詩でもあったが、最近ではほとんど見られなくなった。特に地震後はほとんど改築や新築されているため、古い民家は残っていない。建物は新工法や新建材で立て替えられているが、古い石積みや石垣が残っていたり、高潮対策の防潮扉とか、冬の強い西風を防ぐ、海辺の防砂用の竹垣には、地域独特のものがみられる。 子浦のまちなみ子浦も妻良同様に狭い海辺に人家が密集し、後背地は険しい山地となっている。西子浦は漁業中心の塩の文化のまち、東子浦は漁業中心の山の文化のまちと、同じ子浦でも性格を異にしている。
現在は、妻良と同じように過密な民宿村の様相を呈している。人口の割合には寺が多く、かつて風待ち港で栄えた頃は、三味線の音のしなかった日はないとも言われたが、現在でも西子浦の生活には過去の豊かな時代の名残がある。
最近は、山上のマーガレットラインの上部に、保養所や別荘の進出が目立っている。
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